お店の裏には工場があります。

私の母は、小さな小さな町工場からスタートしました。

私が保育園までは、ボロボロのおんボロアパートに暮らしていた記憶があります^-^

隣には幼馴染みの姉弟がいて、私達姉妹とは本当の姉弟みたいに過ごしました。

一年生になるときに、少し大きな建物に移りました。

幼馴染みと離れてしまって悲しかったのですが

大好きな「おじさん」が現れました。

向かいの大きめの工場で働く「おじさん」、今思うと初老くらいだったのか

はたまた、おじさんになりかけの青年だったのかは記憶が定かではありませんが

小柄でハンサムなおじさんでした。

遊ぶと言うより、よく話をしていました。

砂鉄の話とか、コンクリートの溝の話とか

お母さんに怒られて、家から追い出されても、昼間だとおじさんがいるので

裸足で工場の前までいって、おじさんが出てくるのを待っていました。

泣いてるとおじさんは隣に座ってくれました。

「ダメだよ」とか言うのではなく、ただニコニコして座っていました。

だから私も

なんで怒られたのかを忘れて、ニコニコと笑って隣に座っていました。




ある時、おじさんが言いました。

「おじさんは、今日でいなくなっちゃうんだよ、遠くの工場に行くことになったんだ」


いつもの工場の扉の横の狭いスペースに腰かけて、話しました。



悲しくて、とても悲しくて

だけどおじさんは、もっと悲しい顔をしていたのでわたしは泣くのを我慢しました。

「私をわすれちゃうの?」と聞きました。

「忘れるわけないじゃないか」と笑ってくれました。

だから私は「また来てね」じゃなくて

「頑張ってね」と言いました。

「また来てね」はきっとおじさんを困らせちゃうから

いま、おじさんは何処で何をしているのかは分かりません。

なぜ、こんなお話を書いたかというと

裏の工場が、今日から活気よく動いていたからです。

それが嬉しくて、鉄筋を削る音、鉄を叩く音、ドリルの音

街が動いたことがとても嬉しいです。

それと懐かしいなぁーと思ってblogに書いてみました。


おじさんのいなくなった時期はバブル崩壊少し前でした。

小さいですが、私も会社の経営者です。

今の時代だから、なおさら頑張らないと

どうか、小さな会社の経営者の皆様、お店の経営者の皆様、従業員の皆様、他にもたくさんの皆様

頑張りましょうね^-^


おじさんは、きっとイケメンおじいさんになって、孫がたくさんいて、幸せに暮らしていると

私は、願ってます。




 
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