
昨日の大腸バリウム検査で、心身ともにボロボロになった私。
いやぁ……本当に散々な一日だった。
あんな恥ずかしい思いをしたのは、生まれて初めてかもしれない……(泣)
そして翌朝。
私は病室で缶コーヒーを片手に、久しぶりの穏やかな時間を過ごしていた。
プシュッ!
缶を開ける音が、やけに心地よい。
ひと口飲むと、コーヒーの苦味が身体に染み渡る。
「あぁ……生き返る……」
昨日の地獄のような検査が嘘だったかのように、ほんの少しだけ幸せを感じていた。
やっぱり平和が一番なのだ(笑)
……ところが。
そんなささやかな幸せは、長くは続かなかった。
またしても、あの男が現れたのである。
そう。
ラスボス小僧こと、主治医Mである。
どうやら昨日のバリウム検査の結果を説明しに来たらしい。
正直なところ、この頃の私はすでにMに対する不信感でいっぱいだった。
何しろ、盲腸の手術を受けたはずなのに腹膜炎になり、その後も体調は思うように回復しない。
おまけに昨日は、あの屈辱的なバリウム検査である。
「今度は何を言い出すんだ……?」
私は疑いの眼差しでMの説明を聞いていた。
しかし……
医者の説明というのは、どうしてこうも難しい言葉が多いのだろう。
ただでさえ不信感いっぱいの私の頭には、説明の大半が入ってこなかった。
そんな中、ひとつだけ耳に残った言葉があった。
「盲腸付近に何かが写っている」
……ん?
ちょっと待て。
盲腸付近に何かが写っている?
いやいやいや……。
「先生、盲腸は切除したんじゃなかったの?」
私の頭の中には、次々と疑問が浮かんできた。
切除したはずの場所に、いったい何があるというのか?
炎症なのか?
手術の影響なのか?
それとも……。
何か、とんでもないものが残っているのか?
もう頭の中は疑問符だらけである。
そして、もうひとつ気になったことがあった。
それはMの表情だった。
初めて会った頃のMは、妙に自信に満ちあふれていた。
若いのに堂々としていて、何でも任せてくださいと言わんばかりの雰囲気だった。
ところが、この日のMは何となく違って見えた。
説明に歯切れがないというか……。
何か言いにくいことでもあるのか?
それとも私の考えすぎなのか?
当時の私には、まるで何かを隠しながら説明しているように感じられた。
「おいおい……大丈夫なのか、この病院……」
またしても、あの言葉が頭をよぎる。
やっぱり死人病院だったのか……(泣)
そんな私の不安などお構いなしに、Mは淡々と話を続けた。
「明日、大腸内視鏡検査を行います」
「朝から下剤を2リットル飲んで、大腸をきれいにしてください」
……。
……なぬ?
大腸内視鏡検査!?
ちょっと待ってくれ!
昨日バリウム検査をやったばかりじゃないか!
今度は何だ?
大腸にカメラを入れるってことか!?
胃カメラなら経験がある。
あれだって決して気持ちの良いものではない。
しかし、大腸カメラは人生初体験である。
しかも下剤を2リットル!?
「先生……私をどこまで追い込むつもりなんですか……(泣)」
もちろん口には出さなかったが、心の中ではそう叫んでいた。
昨日の検査で、私のなけなしの精神力はすでに使い果たしていた。
そこへ追い打ちをかけるような大腸内視鏡検査。
もう勘弁してほしい……。
私の蚤の心臓は、再び猛烈な勢いで鼓動を始めた。
ドキドキ……。
ドキドキドキ……。
そして不思議なことに、不安になるとお腹まで落ち着かなくなる。
まるで大腸が、
「おい!また何か始まるらしいぞ!」
と大騒ぎしているようだった(笑)
しかし……。
ここで私は、あることに気づいてしまった。
なぜ、わざわざ大腸内視鏡検査をする必要があるのだろう?
昨日のバリウム検査で何かが写った。
だから、さらに詳しく調べる。
それはつまり……。
何か重大な異常が見つかった可能性があるということではないのか?
そう考えた瞬間、背筋がゾッとした。
さっきまで頭の中を占領していた「大腸カメラが怖い」という気持ちが、急に小さくなった。
代わりに、もっと大きな不安が押し寄せてきた。
「まさか……」
「いや、そんなはずはない……」
頭の中に、ある病名が浮かんだ。
ガン。
できれば考えたくもない言葉だった。
「いやいや、待て待て!」
「まだ44歳だぞ!」
「そんな簡単にガンになんてなるわけないだろ!」
私は必死に自分へ言い聞かせた。
もちろん、44歳だからガンにならないという保証などない。
そんなことは分かっている。
それでも、当時の私はそう思いたかったのだ。
だって、ついこの間まで普通に生活していたのだから。
仕事をして、家族と過ごして、何の疑いもなく明日が来ると思っていた。
それが今では病院のベッドの上。
盲腸の手術を受けたはずが腹膜炎になり、今度は大腸の精密検査である。
「いったい私の身体はどうなってしまったんだ……」
そして、ふと家族の顔が浮かんだ。
妻はどうしているだろう。
息子は元気にしているだろうか。
もし本当に重大な病気だったら……。
もし、これから先も入院が続くことになったら……。
ようやく開業した整体院はどうなるのだろう。
考えれば考えるほど、不安は大きくなっていった。
それまで私は、病院や主治医に対する怒りばかりを感じていた。
「何でこんなことになったんだ!」
「早く退院させてくれ!」
そんなことばかり考えていた。
しかし、この時ばかりは違った。
怒りよりも、恐怖の方が大きくなっていたのである。
その日は一日中、何をしていても落ち着かなかった。
窓の外を眺めても、テレビを見ても、気持ちは晴れない。
時間だけが、やけにゆっくりと過ぎていく。
そして夜。
病室の明かりが消え、周囲が静かになると、昼間は何とか押さえ込んでいた不安が再び顔を出した。
「もし本当にガンだったら……?」
「いや、大丈夫だろう……」
「でも、何かが写っていたんだよな……」
同じことを何度も何度も考える。
答えなど出るはずもない。
それでも考えることをやめられなかった。
昨日までは、検査そのものが怖かった。
しかし今は違う。
検査で何が見つかるのか。
それが怖かった。
44歳。
まだまだ人生これからだと思っていた。
家族もいる。
始めたばかりの整体院もある。
やりたいことだって、まだまだ山ほどある。
「頼むから……何でもありませんように……」
そう願うことしかできなかった。
そして――。
長い長い夜が明けようとしていた。
この時の私は、まだ知らなかった。
これから受ける検査が、私の人生を大きく変えるきっかけになることを。
そして、あのバリウム検査で見つかった「何か」の正体を知る日が、刻一刻と近づいていたのである。
次回、闘病記第⑲話へ続く。