小学校5年生までは全校生徒が25人くらい、同級生は5人くらい、しかも両親が小学校の先生で、母親は同じ小学校に勤めている、という小さな村で過ごしました。元々勉強が嫌いではなかったし、家も学校も教育環境がよく、勉強からスポーツまで何でも一通りはやらせてもらったし、だいたいのことは人並み以上にできました。道徳の授業を地で行くような優等生で、小学6年生から町の小学校に転校しても、毎年学級委員長に選ばれ、中学校では生徒会長にもなりました。人前で何かするのはとても好きで、あまり緊張することもなく、役割を与えられた上で注目されることには向いているんだろうなと思っていました。

 

 父親は運動が好きで、夏は水泳、冬はマラソンやスキーとスパルタでやらされました。ピアノや民謡も習っていました。町の小学校で過ごした1年間では吹奏楽クラブに入りトロンボーンをやりました。中学校では消去法でバスケ部に入りました。いろんなことをやった中で水泳(平泳ぎ)や音楽に合わせて踊ることは好きでしたが、走ることや球技、チームプレイは自分のせいで負けたら、というプレッシャーがかかるから苦手で、怖がりなのでスキーのようなスピードの出るものも苦手、音楽は好きだけど、楽器はそこまで得意じゃなく、頭ごなしに厳しく指導されるのも苦手だなと思いました。

 

 小さい頃からかわいいものへの憧れが強く、リカちゃん人形などでごっこ遊びをするのが好きでした。小学校中学年くらいからは自分の体型への意識も強く、もっと胸が大きくならないかな、とか、友達は脚が長くてキレイなのに自分の脚は太くて醜くてダイエットしなきゃ!などと思って友達とティーン雑誌などを見ながら研究していました。

 

 中学2年生の時、部活で膝を痛めて整形外科に通っていましたが、その時された鍼が痛くて怖くて苦手でした。「鍼は痛い、怖い」鍼に対する初めての印象はこれでした。

 

 その時自転車通学ができなくなりバスでの通学になったのですが、バスの中で暇だから毎日雑誌で見た顔のツボ押しをしていたら奥二重の目が二重に近くなって!妹に指摘されてすごくうれしかったのを覚えています。「自分でケアすればキレイになれる!」このときのツボ押しの手順は今でも覚えていて使っています。

 

 中学生くらいまでは「みんなに平等に接しなければならない」というモラルに従って生きていて、本当は嫌いでもクラスのいじめられっ子とかにも優しくしていました。そういう性格のせいもあって、苦手な人から好かれてつきまとわれ、断り切れず、思い悩んで胃痛になってしまいました。そのときから30才くらいまで胃痛が持病になり、長く苦しめられました。