さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。
先週、10月から静かにスタートしていた
AC勉強会月曜クラスが終了いたしました。
なんだか早かった。
何より私自身がそう思います。
参加者の皆さんもそう言われてましたから、
ほんとに時の進みが早かったのかな。
それぞれが「自分が変わった」と言われていました。
「自分が変化していることを
自分でも感じていたけれど、
毎月仲間に指摘してもらえたのが、
安心感があってよかった。」
「人の家族の話をここまで聞くことははじめてだったから
とにかく面白かった。
そして、自分を知っていくこともものすごく面白い」
「まさか変わらないだろうと思えた自分がすごい変化を遂げた」
「変わったかどうかはわからないけれど
自分を冷静に見つめて、
自分と対話することが確実にできるようになった」
さらに、皆、口々に
「終わりではなくてここからが始まり。
じっくり自分に向き合い続けたい」と言います。
皆、目が美しい…。
★ ★ ★
AC勉強会で学んだ人が獲得されていくもの。
それは「自分の言葉」です。
もちろんそれまでだって
誰もが自分の言葉で、自分の声で
話しているつもりなのですが、ね。
私にも、あー、これが私の言葉だ、自分の声だ
と自覚した瞬間がありました。
8年ぐらい前のことです。
何が違うって、言葉の出処が違うのです。
自分の内側に小さいけれど、
小さくない変動が起きる。。。
さらに、半年間の学び合いを通して
…人のことはコントロールできないこと、
人は目の前のことしかできないこと、
自分のことしかできないことを知っていく。
でもね、私たちは感応し合って生きている。
たとえどんなに孤独感の中にいても
たった一人で生きているわけではない。
それゆえに、自分の小さな変化は、
周囲に小さくない変化を及ぼすのです。
だから、自分のちょっとした気づきだけで
相手が変わってびっくりするということが起きるのですね。
よく本に書かれているようなことを
自ら体験するわけです。
★ ★ ★
私たちは誰もが親から影響を受けずに成長することはできません。
秩序という安心、安全があることで
子どもの心は育ちます。
常識だって、正論だって世の中には必要なもの。
子どもが育つ上で必要なもの。
親は、子どもをこの世界に接触させる短期間の役割を担っている。
だから、親は自分が信じた価値観を子どもに伝える。
でも、親と子どもの人生は違うから、
それまで積み上げたきたものを
一度棚卸しする必要がある。
親じゃなく、世間でなく
「私」を主語にして、自分の人生を生きられるよう
人生のシナリオを読み解き、書き換える。
そういう意味での儀式、
本当の意味での成人式が
ACという認識がある、ないに関わらず
必要なのではないかと思います。
ACというキーワードは、
それを可能にしてくれる。
ACであること、
つまり、自分の生きづらさが家庭の機能不全に起因することを
言い訳にして生きる道もあるかもしれない。
でも、ACってすごい力の持ち主なんです。
誰からも同情されない目には見えない戦場を
生き抜いてきた生命力。
その力のベクトルをちょっと変えてみたら
違う世界が広がる。
どうせなら、そっちの道を選んでみたいと思いませんか?
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2.22は、説明会に当たる「ACってなぁに?」おはなし会です。
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