さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。
ACの勉強会やセッションをしていると、
「自分の癒しって、いつまで続くの?
どこまでやったらいいの?」
と質問されることがあります。
私は、癒しは『一生モノのプロジェクト』と考えているので、
そうお伝えすると、
も~、うんざり~という顔をされる方も少なくないですね^^
「早くさっぱりしたい」とおっしゃいます。
うん。気持ちはわかる。
私もそう思っていた。
そんな方たちに、贈ります。
…7年前、33歳のとき、私が癒しを学んでいた頃に書いた記録です。
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解答集はもういらない
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アドバンスコースの学びが始まってから
「あぁ、そうか!」と再び目から鱗が落ちたように感じた
日があった。
私は、常に、常に、正解を求めて生きていたのだと
気付かされたからだ。
私は、否応なく、効率重視、学歴偏重、競争化の中で
育ってきた世代の一人だ。
それは、試行錯誤しながらよく考えて進むという道では
なく、理解する、しないにかかわらず、ただ暗記していく
というやり方。
あたかも解答集を傍らに置いて、その答えに合わせて
いくような生き方だったのではないか。
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ある日の講義は、「人間の欲求の階層」がテーマだった。
そもそも、人間の欲求とは何で、何が得られないと人は
満たされないと感じるのかを知る。
私たち人間が最大限の可能性を発揮して生きていくためには
なんと20もの欲求の階層があるという。
「5段階の欲求」については聞いたことがあったが、人間が
生きていくとは、なんと奥深いことよ。
現実にこれらをすべて得ている人は稀だという。
こればかりは、知ったからといって、できるわけではない。
そして、思った。
生きていくって、その価値を自分の外にではなく、
内に求め続けること…。
自分と、自分を取り巻く人間関係を育てながら、
慈しみながら、時には、悩み、迷いながら
進んでいくもの。
正解のない道だな。
…ここまで思ったときに、いつも間違えないように
「どうするべきか」とばかり考えてきたという事実に
たどり着いたのだった。
あー、そうだったのか。
そりゃ、生きづらいはずよ。
でも、どんなに学んでも正解はない。
正解を得るために学ぶのではない。
人生を瞬時に変える魔法のような言葉もなければ、
特効薬もない。
毎日の自分の想いの積み重ねがすべてだ。
知識をどういかしていくか、どう実践していくのか、
周囲とどんな関係性をつくっていくのか。
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そんなことを思うようになってから、毎日のある時間が
とても愛おしく感じられるようになった。
それは、朝、保育園に行く息子を送り出す時間。
我が家は、朝、夫が保育園に送りに行くのだが、
時に振り返っては、手を振りながら、
飛び跳ねるようにぴょこぴょこ進む息子と、
子どもの歩調に合わせてゆっくり歩く夫を、
朝の静謐なエネルギーが立ち上る中、
見えなくなるまで見送る。
この人たちは、今日何を体験して、何を感じるのだろう。
何を発見するのだろうと思いながら。
そんな時間がすごく好きだ。
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だからといって、いつも誰かに善悪や優劣を判断されているような
感覚がすべてなくなったわけではない。
怖さも不安も変わらず私の友人だ。
でも、この気づきは、私をとてもラクに、自由にしてくれた。
癒しを学ぶとは、自分の人生の愛し方を知ることなのだなぁと思った。
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…読んでくださってありがとうございました。