光が強ければ強いほど、影もまた濃い | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

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「食べて元気に、食べて体調がよくなるごはん」を作っています。
銀河弁当・ケータリング・料理教室・食生活相談。

さろん楓ふなだまほです。

いつもありがとうございます。



セラピストセミナーでのこと。



2日目は雨が降りました。
3日目の夜もコンサートが始まってから雨が降り出しました。



初日もお天気がよかったわけじゃなかったような。



「まほちゃんとイベントやるときは
いつも曇り以下やな~
果ては、大雨とか大雪とか極寒とか」



と、須佐厳さんが言われます。



振り返ると、確かにそうなんですね。
いつも天気が悪いです^^



「ほんとですね~」と私は言います。



でも、この会話は、これで終わりです。



これが事実をありのままに、
出来事をただそのまま、そうだとだけ受け止める、です。



けれど、今、多くの方が、
瞬時に、無意識のうちに
ここで「意味づけ」をしているのではないかと思います。



いい、悪いのジャッジですね。



日頃の行いがいいから晴れ、とか、
龍神様が喜んでいるから雨が降る、とか。
須佐厳さんとは相性がよくないから、
一緒にセミナーはやらんほうがいいとか(笑)



こういうの、いくらでもありますよね~。



それで救われるんだったら、それでいい。
いいとこどりだけしようよ。
確かにそういう考えもあります。



でも、意味づけ、解釈をしはじめると、
「いいこと」には救われ、元気が出てくる。
でも、「悪いこと」に対して、
より一層恐れが出てくる…という展開になります。



物事って、UPが激しければDOWNが激しいのです。


ジェットコースターでも、登れば登っただけ
高いところから落ちていかなければならない。



これ、自然界の法則なんですね。
光が強ければ、それだけ影が濃くなります。



いいことだけ「引き寄せ」というわけにはいかないのです。
感情でも、ポジティブな感情だけ
選んで感じるということはできない。



味づけや解釈で「救われる」ということは、
そもそも、救われない解釈をしているという証でもありますね。



だから、思い切って意味づけをやめてみる。



そんなのどっちだっていいじゃない、と
解釈を放棄してみる。



そして、ただその事実をかみしめてみる、あじわってみる。



曇りなら曇り、
大雨なら大雨、
大雪なら大雪、
その事象をじっくり観察する。
五感を使って感じてみる。



そこから得られる「なにか」のほうが
よっぽど、自分を救ってくれるのではないかな…


というご提案でした。




さろん楓ふなだまほ の 21世紀のやまとなでしこ プロジェクト