さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。
セラピストセミナーでのこと。
2日目は雨が降りました。
3日目の夜もコンサートが始まってから雨が降り出しました。
初日もお天気がよかったわけじゃなかったような。
「まほちゃんとイベントやるときは
いつも曇り以下やな~
果ては、大雨とか大雪とか極寒とか」
と、須佐厳さんが言われます。
振り返ると、確かにそうなんですね。
いつも天気が悪いです^^
「ほんとですね~」と私は言います。
でも、この会話は、これで終わりです。
これが事実をありのままに、
出来事をただそのまま、そうだとだけ受け止める、です。
けれど、今、多くの方が、
瞬時に、無意識のうちに
ここで「意味づけ」をしているのではないかと思います。
いい、悪いのジャッジですね。
日頃の行いがいいから晴れ、とか、
龍神様が喜んでいるから雨が降る、とか。
須佐厳さんとは相性がよくないから、
一緒にセミナーはやらんほうがいいとか(笑)
こういうの、いくらでもありますよね~。
それで救われるんだったら、それでいい。
いいとこどりだけしようよ。
確かにそういう考えもあります。
でも、意味づけ、解釈をしはじめると、
「いいこと」には救われ、元気が出てくる。
でも、「悪いこと」に対して、
より一層恐れが出てくる…という展開になります。
物事って、UPが激しければDOWNが激しいのです。
ジェットコースターでも、登れば登っただけ
高いところから落ちていかなければならない。
これ、自然界の法則なんですね。
光が強ければ、それだけ影が濃くなります。
いいことだけ「引き寄せ」というわけにはいかないのです。
感情でも、ポジティブな感情だけ
選んで感じるということはできない。
味づけや解釈で「救われる」ということは、
そもそも、救われない解釈をしているという証でもありますね。
だから、思い切って意味づけをやめてみる。
そんなのどっちだっていいじゃない、と
解釈を放棄してみる。
そして、ただその事実をかみしめてみる、あじわってみる。
曇りなら曇り、
大雨なら大雨、
大雪なら大雪、
その事象をじっくり観察する。
五感を使って感じてみる。
そこから得られる「なにか」のほうが
よっぽど、自分を救ってくれるのではないかな…
というご提案でした。