こんばんは。
さろん楓ふなだまほです。
いつもありがとうございます。
書くべき記事やご案内はほかにあるのですが、
どうにもこれをアウトプットしないと先に進めない…ので
こちらを投稿させていただきます。
(いつも長くてすみません)
何の話題か?といえば・・・
もうひとつ、神様勉強会の須佐厳氏のお話の中で
ほぉ~!と思ったことがありました。
それは、兄弟は、かなり「他人」である場合がある というお話でした。
…親子の縁は深いが、兄弟姉妹はご縁も使命もまったく別。
ましてや嫁に出てしまったりすると交わりさえなくなることもある…。
★ ★ ★
実は、うちがそうなんです。
兄と妹が「Different People」であると
究極的に自覚したのは、ちょうど去年の今頃のことです。
ネパールから来日された高名な(らしい)方の
占星術のセッションを受けたのですよね。
いろいろ読み取っていただいた後に、
質問は?と問われて
気がかりだった兄と妹のことを尋ねました。
返ってきた言葉は「Diffrent people」・・・
この「Different」という言葉で、
いろいろなことが見事にふっきれたんですね。
ここで「他人」という言葉を聞いても響かなかったかもしれないですが
あの日、あの時「Different」が抜群に効いた・・・
理由もない。これからその距離が近づくこともない。
当然わかりあうこともない。
ただDifferentである。
それだけのことだ。
あなたはSpiritualな人だけど、彼らはそうではないのだ、と。
これ、英語にすると本当に短い言葉になるでしょ。
その簡潔さがまたきっとよかった。
(サンスクリット語のリーディングを
英語に通訳してもらうというセッションでした)
☆ ☆ ☆
決して仲良くない兄と妹だけど・・・。
でも、血を分けた兄弟姉妹なのだから、いつかきっと…!!!!
という思いが、希望がずっと私の中にありました。
現実にはそれは到底難しく、
アタマでは理解しているつもりなのだけど、
鮭が生まれた川に戻ろうとするように、
気がつくと求めてしまっていた。
この「Different」という言葉を聞いてものすごく泣けたのですが、
それは、何があろうと、それでも、それでも、まだまだ
期待していた自分の姿を目の当たりにしたから。
あまりに切なかったから。
でも、Differentであることを受け入れて、
というか、それに抵抗することをやめたら、
その後は本当に彼らのことを案じることもなくなりました。
妹もこういうことを知ったほうがいいのではないか?とか、
一切思わなくなりましたね。
連絡してくるのは、決まってお金に困ったときで、
「役に立つ必要」があった私は、それに応じていたし、
だから、彼らが現実という壁にぶち当たる好機を奪っていたし、
おそらくそのために必要以上に働かなければいけないというしくみに
自分を陥れていた。
でも、もう役に立つ必要も、責任もない。
とすれば罪悪感もない。
だから、NOとも言える。
そうして、今があります。
だからなのか、3.11のあの地震のあとさえ、
2人には連絡もしませんでした。
当然2人からも連絡はありませんでした。
冷たいと思われるかもしれませんが、
私にとってはそれが普通。
だいぶ経ってから、
そう思うのは、根拠のない信頼感があるからなんだと気づきました。
あの戦場を共に生き抜いてきた人たちだから、
これぐらいでどうこうなるわけではないって。
変な話「死ねるものなら、死んでみろ」みたいな思いがどこかにあるのです。
でも、祖母100歳記念!となったら、それはそれで集うわけで
それで充分だなと思っているのです。
血が繋がっていてもDifferentな人。
血とは関係なくご縁で強く繋がる人。
この相関図がより鮮明になったのが2011年だったように感じます。
そうそう、私の兄弟関係はこんななのですが、
夫は弟とそれはそれは愛ある兄弟関係で、
義妹と二人で互いに妻という立場を通して
両者の想いを改めて知ったりして
兄弟の素晴らしさの疑似体験をさせてもらっています。
(・・・結婚って面白いプロジェクトですね)
長々と読んでいただき、ありがとうございました。