もしその子が生まれていたら・・・ | 大田区鵜の木さろん楓★料理家 印南真帆のブログ「食べることは生きること」

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「食べて元気に、食べて体調がよくなるごはん」を作っています。
銀河弁当・ケータリング・料理教室・食生活相談。

こんばんは。

さろん楓ふなだまほです。



いつも読んでいただき、ありがとうございます。



さて、先週の金曜日は、須佐厳氏の神様勉強会、
「水子さま」についてでした。



須佐厳氏のお話の内容は、
講義録にて年内にお届けする予定ですので
今日は、ちょいと私の話をご紹介。




さろん楓ふなだまほ の 21世紀のやまとなでしこ プロジェクト 



私には兄がいますが、
母からは兄と私の間に一度流産したことがあると
聞いていました。



…その子がもし男の子だったら、
兄にも男の仲間ができてよかったのに…と
二男二女を望んでいた母は言ったものでした。



私も確かにもう一人お兄さんがいてくれたら、
兄に対する親の期待も違っていただろうし、
私たちへの風当たりも違ってただろうなぁと
思ったことがありました。



こういう場合、
つまり、そうして母親が思い出していたり、
母親から子どもへ語り継がれていたりする場合は、
「闇から闇へ葬り去られた水子さま」ではないゆえに
供養が必要な水子さまとはならないと須佐厳氏は言われていました。



お母さんは人知れず、
やられていたのですよって。



☆       ☆       ☆



その日、21時までの勉強会開催のために
私は母に息子の世話を頼んでおりました。



以下、帰宅した母と交わした会話です。



その流産は、なんと大出血を伴うもので、
生死をさまよったのだそうです。
それは初めて聞く話でした。



小さい兄と、東京にいる父と、
実家の養父母と…と人の世話に明け暮れ、
東京と神奈川県の平塚を行ったり来たりしていたらしい母は、
くたくたで「あー、あんぱんが食べたい。そしたら元気が出るかしら」と思い、
隣にある雑貨屋のおばちゃんのところへ行き、
「あんぱんをください」と言ったきり、その場で倒れてしまい
しばらく意識さえ戻らなかったそうです。



その際の出血で流れてしまったのだろう…ということでした。



「その後もなかなか体力が回復せずに大変だったのよ。
その後、元気になってきてすぐ妊娠したのがあなただったのよ。」



そして、言ってました。

「不思議ねぇ。ちょうど昨日そのことを思い出していたのよ」って。

なるほど。



水子さま勉強会に際して、私ではなくて、
母が思い出していたのですね。

胎内に宿したものの、生まれなかった子どものことを。



「でもね、もし、その子が生まれていたら、
あなたはいなかったのよ。

生まれてなかったのよ。
だから、その子を思い出すというより
あなたがいなかったかもしれないっていうことのほうを思うのよ、と。
あら、もっとその子を思いだしてあげたほうがいいのかしら?」って。



その時1月だったそう。
私は9月生まれですから、確かにそうです。



あぁ、自分が今ここにいなかったかもしれないと思ったとき、
嬉しいわけでも、悲しいわけでもなく、
なんとも言葉に表せない不思議な感情に襲われました。
胸がスクような感じ…といえばよいのでしょうか。



気のせいかもしれませんし、
これを詳しく知ろうとは思わないのですが、
私の中にずっとある「とあるあったかい感覚」は、
その人の分も引き受けているというか、
見守ってもらっている・・・というものなのかも。



名のない感覚に名前がついた・・・。
そんな感じがしています。