辛い辛いというのでしっかり言語化していただきました。
”頑張ってるつもりなのに進まない。
努力してるつもりなのに報われない。
まだまだコントロール欲がある自分に絶望感。
努力すれば手に入るという幻想をもっているという今の現実。”
自分を認めたくないと思ってる事。
自分と娘の境界線がなく、分身だと思って離れられない自分。
自分と相手(主人)とは同じレベルな事に気づいていなかった。
早く結果をほしがって雑にしている自分。
毒親だと気づいていたけど、気づきたくなかった。
頑張れば思い通りになると思っていたが、そうではない現実。
何もできてない自分を突きつけられた気がしてとても辛かったです。
私は何もしてこなかったんですもんね。
何もできなくて当然でした。
こりゃ辛いわ
理想が高い自分を観ているにも関わらず、何ひとつ手放せてないので。
痩せたくてジムに通ってるのに、ジムの帰りにケーキとコーラを買って帰ってるようなものですよ。
せっかく消費したカロリーも水の泡です。
掘り下げが雑で、理想が高くて、手放しが下手なほど、宙ぶらりん期間が長いんですよ。
堕ちる伸びしろがあるということですね。
だからね、辛いと言ってもまだまだ辛くなるわけ。
理想を諦めるまで辛いことが起こる仕組みなんですよ。
現実は待ってくれないのです。
だから、自ら能動的に手放しができなかった場合、未来には現実が辛すぎて仕方なく諦めた、が待ってると言う事。
この状態で能動的に諦めることは不可能ですので、無理やり諦めさせられる以外の選択肢はありません。
反抗期の娘と同じです。
良い子だったはずの娘が髪を染め始め、ピアスをつけた。
「そんな髪やめなさい」
「ピアスなんて許しません」
これは、親の理想通りの子供でなければあなたを受け入れません!という態度ですね?
親が一貫した態度で体罰チックであれば、折れる娘もいるでしょうが、それは最悪なパターンです。
その子は一生親を超えられない。
こういう親の場合、反抗期が無かったのなら最悪ということです。
娘が結婚して子供ができたあたりで、抑圧が爆発寸前に極まってる状態。
だから、抑えていた自分に気づいたときにはもう、許せないどころじゃないわけです。
ありのままの自分は全く受け入れて貰えてないというのが現実ですからね。
ここで反発出来なかった娘が、自分と徹底的に向き合わなかった場合、その娘が結婚した後生まれた子供がそれなりのものを引き継ぎます。
このパターンは相当数あります。
自分がOKを出した以外の子供を受け入れていないということですからね。
自分の子供を受け入れてないというのと同義語
親に受け入れて貰えてない自分が、自分の子供のありのままを受け入れるのは簡単ではないです。
反抗されなかった親は、勝ち逃げしたようなものです。
※このパターンが一番多い
反抗できなかった子供が、その現実に気づいて、成人してから親に言いたい事をぶつける人もいますが、だいたいの親が「過ぎたこと」ですね。
自分の言いたいことを生前に伝えられるのは、まだましかな。
でも、そこを超えられなければ、心の中に澱が溜ったままです。
では別なパターンを見て見ましょう。
良い子だった娘が髪を染め始め、ピアスをつけた。
「そんな髪やめなさい」
「ピアスなんて許しません」
理想通りの我が子でなければ受け入れませんという態度を取っても、我を通す我が子もいます。
その場合は、親がうるさいほどに反発するよね。
引きこもりも反発の一つですね。
真逆が夜遊びだね。
帰ってこない。
究極でしょう。
ウンコな親って、子供がそうなってやっと気づくでしょう?
ああ、自分が間違えていた・・・
こうならない親もいるけど、それはもうウンコ以下だよね。
ああ、自分が間違えていた・・・
これが、強制的に受動的に、その出来事を受けいれさせられた状態です。
この時点で既に強制的受け入れが行われているので、ここから能動的に受け入れるということは不可能です。
子供が夜遊びを覚えて帰らなくなった時点で、もう遅いわけです。
子供はもう諦めてるから。
そして、その道なりの快感や楽しさを覚えてるので、何を言っても無駄。
信頼関係の無い親が何を言ってもゴミ以下だよ。
ここまでになってしまった場合、子供が「私のありのままを受け入れてもらった」と思えるのはもう不可能と言う事。
無理です。
反抗期を経て親に反発をして、帰ってこないから仕方なく髪にもピアスにも文句を言わなくなったところで、受け入れてもらえたという記憶にはならないんですよ。
どちらのパターンの娘も、それなりの辛い険しい道を経験することになります。
うるさい親に反発して帰らなくなった娘は、そうやって相手をコントロールすることを覚えますからね。
しかも、誰も尊敬できない。
だから世界をナメていくんです。
そして自分が世界の中心かのような考え方になる。
自分が世界の中心であると思って生きていたら、当たりまえに散々なことが起こりますよね。
次から次へと散々なことが起こって、「私は世界の中心ではないんだ・・涙」と、決定的に思い知らされた出来事があっても、それは自ら受け入れたとは言えないんです。
理屈では理解しているけど、ちゃんと解かってないということ。
心の奥底にそのベースがあるので、知らないうちに「私は世界の中心なはず」という生き方をしてしまう。
人生に問題が起こり続けるのは当然です。
手放せないと、どれだけ辛い出来事が起こっても本当の意味で理解できないわけです。
まさに、反抗期を受け入れない親と同じ。
娘が成長して「なんであの時私がやりたいことを応援してくれなかったの」と言っても、「そうするのが親として正しいと思ってたから」とか言われて終わり。
そんなことが聞きたいわけじゃないこともわからない。
理解しようともしない。
そういう親をみても、受け入れてもらえたと思えないでしょう?
そういう人は永遠にわかんないってこと。
自ら受け入れない、自ら手放さないってのは、そういうことなんですよ。
辛いことが起こる前に、どれだけ真剣に向かい合って理解するかなんです。
少々身体が疲れ気味で辛くても、それなりに健康なら「1日1日は大切ですよ!」って言っても「そうですね」くらいで何とも思わないじゃん。
それが人生ナメてる状態。
でも、余命が1カ月と宣告されたら?
1日1日が愛おしくて仕方ないと思うよ。
私がやってることは、そのリアリティを、本当に余命宣告される前に気づいた方が人生楽しいでしょう?ってことなんですよ?
自動的にそうなるまえに、いかに自分をそこに持っていけるかなんです。
それは努力じゃないんだよ。
この方の最後の記事が、そのことを非常に的確に日記に書いています。
”自分は恵まれていたんだということに、悩みの渦中では気づけなかったです。”
これは本当にそうなんです。
でも、先走って、辛いままで「私は恵まれていたんだ!」と言い聞かせて思い込ませようとする人が沢山いて、それやるから後退するんです。
これは、やりきった後に結果としてただ感じることなので。
早くゴールにたどり着きたいあまりに、ゴールだと思い込もうとするんですね。
そもそも論で道から外れていく。
”この人生、この世界もいつか終わりが来るんだっていうことをリアルに感じるようになって。
1日1日、時間を大切にしたいなってすごく思います。”
まさにこれです。
これがリアルに感じられたら、嫌な事を忘れるために酒飲んでゲームしようなんて思わないよ。
それが悪いとかではないんです。
「あと1ヶ月しか生きられません」と言われても、毎日を忘れるために酒で麻痺させてゲームしたいのよって人は、堂々とそれしてればいいじゃんってこと。
それでいい人はそれでいいって何回も言っている。
でも、そうなら酒飲んで麻痺させてゲームしてる自分に絶望するのはおかしいことでしょう
悩むなボケナスってことです
自分の言ってることとやってることを冷静にみれないとこれがわかれない。
”1日1日、時間を大切にしたいなってすごく思います。”
本当にこれよ。
この態度で生きてたら、無駄な物握りしめてるなんてアホらしいと思うもん。
真剣になるってそういうことよ。
続きます