こちらも最近頂いたメッセージです。

 

貴重な体験が書かれていたので、掲載許可を得て掲載しています。

 

 

 

 

 

 

CORONAヴァクチンについて、生の声を聴いたのは初めてです。

 

 

このレベルでは当然、何の保証も受けられませんし、下手に話しても勘違いだとかトンデモと言われて嫌な思いをするだけでしょう。

 

 

しかし、因果関係がつかめないからといって接種直後にあからさまに具合が悪くなるというのはいかがなものでしょうかね。

 

 

 

 

このメッセージは、私がブログをしていなければ、表に出ることはありませんでした。

 

そういう方は、かなりいると私は観ています。

 

 

 

そして、変な言い方ですが、お父さんとお母さんとの関係が悪いからこそ、こうして冷静に居られるということは忘れてはいけない大事なことです。

 

 

 

関係が悪かったからこそ、得られるものというのは必ずあるのです。

 

 

ヴァクチンを打って母親が亡くなってしまったという娘さんの動画をみたことがありますが、非常に取り乱して、居てもたっても居られないから動画で発信する!という感じでした。

 

その親子は、お母さんが有名な方らしく、普段からとてもとても仲のよい親子のようでした。

 

一番母を知っている自分は、母親はどこにも疾患など無かったと確信する!と言っていました。

 

 

 

自分がそういう関係で、もしヴァクチンを打った後に親が亡くなったらどうですか?

 

 

 

耐えがたいものがあると思います。

 

 

 

感染して亡くなる方も当然いますが、予防しようとして打ったもので健康な命が失われてしまった場合、そう簡単に気持ちを慰めることはできないと思います。

 

 

 

昨日まで笑顔で笑っていた母が・・・・・

 

 

 

そのことを、生涯引きずると思います。

 

 

 

仲が良ければよいほど取り乱し、メッセージの方のように、冷静にはなれないと思います。

 

 

 

何が言いたいかわかりますか?

 

 

 

良いとか悪いとかではないです。

 

 

 

 

物事には、必ず裏と表があるという事。

 

 

 

 

メッセージをくださった方は、自分と親との関係と、自分の家族関係、娘との関係、両方とも良くないことを重々承知しています。

 

 

自分が成人した頃、仕事、恋愛、結婚、夫婦関係、、娘がまだ小さいころ・・

 

 

その頃にも必ず問題はあったはずですが、まだまだやり過ごせた。

 

 

明らかに問題があると気づけるまでには、ヒヤリハットはたくさんあるのです。

 

 

否が応でも認識するのは、身近なところがあからさまにうまくいかなくなるからです。

 

 

 

一番の鏡は子供です。

 

 

 

 

お子さんが小さい方には想像できないと思いますが・・・・・

 

 

 

大きくなってからの方が大変です。

 

 

 

子どもが成長してからの問題とは、ワガママを言って親を困らせるとは、わけが違うのです。

 

 

 

あーもう子育てなんて本当に嫌だ、、、

 

 

 

そう思ったことがる方は、やはりそういう態度なっているはずなので、子供が中学になるまでに覚悟してください。

 

 

小さいうちは愚痴レベルで過ごせても、もはや愚痴では対処できなくなるので、あまりにひどいと、子供か自分どちらが先に精神病になるかという域に行きます。

 

 

自分を見つめるということを知らない親は、耐えるしかないと思い、息苦しいすれすれのところでなんとかやり過ごします。

 

 

しかし、自分の生きるスタイルそのもの、起った問題を、自らの気づきとして転換する術を取得していないので、子供が成人し、関係のピークを過ぎても、今度は違う問題として現れてしまうのです。

 

 

 

子育てが終わった年齢でセッションを受けた方は必ず言います。

 

 

 

もっと早くに気づいていれば子供との関係はもっと良かったはずなのに、、、、

 

 

 

しかし、言い方を変えると、子供との関係が悪い程度では、本気で自分と向き合おうと思わなかったということなのです。

 

 

 

 

それが、真実なのです。

 

 

 

向き合わないということは、例外なく自分を大切にしないということです。

 

 

多くの方は、素の自分よりも、自分のペルソナ(仮面)を大事にします。

 

 

それは、自分を大切にしているとは言いません。

 

 

自分を大切にできない人が、子供だけは大切にできると思いますか?

 

 

 

できません。

 

 

 

人は、そんな風にはできていないのです。

 

 

 

人の意識、”自分”というものは、それほどに強烈なのです。

 

 

 

そういう人が、本気で腰を据えて自分と向き合う時はいつか?

 

 

 

 

重大な病気になった時です。

 

 

 

死と隣り合わせになるということが、人を一番簡単に変えます。

 

 

それを知っているので、重大な病気になることが悪い事だとも思いません。

 

 

 

物事には必ず、表と裏がある。

 

 

そして、その裏と表を越えたものも、あるのです。

 

 

 

そこが、統合された場所、静かなる場所です。

 

 

人はとにかく人の目を怖がります。


 

自分が他人をどうみているかによって、自分がどうみられているかを決定します。


 

そこに真実は要らない。

 

完全なるフェイクの世界です。

 

 

人の目が怖い人は、自分がそういう目で他人を観ているからです。

 

そういう人は必死に他人の目線を変えようとしますが、何の意味もありません。

 

むしろ、他人の評価を上げるために自分が努力していくことで疲れ果て、ドツボにハマっていきます。

 

多くの人が、他人に誇れるのは社会的地位や名誉や富であり、頭脳や美貌だと考えます。

 

 

それで自分と他人を比較し、他人と他人を比較して愚痴を垂れ、時間を失っていく。

 

 

優越感に浸ったかと思えば、劣等感に苛まれ、常にぐらぐらと揺れ動き安定しないのが自分がない人、自分を観ていない人です。

 

 

常にその場所で揺れている。

 

 

 

その世俗の波から飛び出た人しか、静けさを手に入れることができないのは当たり前です。

 

 

 

その静けさこそが、自分の本当の支えになるのです。

 

 

 

それ以外は、富でも地位でも美貌でも、手に入れてもほんの一時のもの、社会通念上でしか通用しません。

 

 

それは常に過ぎ去ります。

 

 

自分を見つめない人は、常に何かに踊らされ、見えないものに操作され、追い立てられていることも気づかず、追いかけても意味のないものを追いかけて人生を終えます。

 

 

親がそのように揺れながら生きていれば、子供も同じです。

 

親がペルソナを大事にしていれば、子供がそうなるのは当然なのです。

 

 

親が他人の目に忙しくて、どうして子供が静けさを手に入れることが出るでしょう。

 

 

他人の目線で揺れながら生きてる人間が、どうして他人の態度に一喜一憂しないでいられましょう。

 

 

毎日他人の態度を気にし、自分がどうみられたいかに不安になり、認められるように人に合わせて生きていく人間が、自分のこと、自分の身体のことを真剣に考えてあげられる時間があると思いますか?

 

 

 

”少し体調が悪いけど今は休めないから我慢しよう”

 

”生理痛なんて当たり前だから薬を飲んでやり過ごそう”

 

”ちょっと頭痛がするけど寝てれば治るからいいや”

 

 

 

 

自分の身体を放置するということは、自分の魂を放置するのと同じことなのです。

 

 

 

 

 

結果は真実を表します。

 

 

 

今目の前に起こっていること、それがあなたが選択してきた結果です。

 

 

あなたが感じる今この瞬間、それがあなたの生き方全てです。

 

 

 

このメッセージでも書いてありますが、向き合わないといけない! という視点では、向き合うことは続きません。

 

 

だから、彼女は向き合うとこを辞めたくなったのです。

 

 

 

何のために自分と向き合うのか?

 

 

 

そこを考えることが、すっぽりと抜け落ちています。

 

 

 

 

向き合いたい! 

 

 

 

という思いになるまで、ここから先に行くことはできません。

 

 

 

 

ここはとても大切な部分です。

 

 

 

何かの参考になれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

ではまたバイバイ

 

 

 

 

 

音符12月セッション申し込みありがとうございます。

もう少し空きありますのでお気軽にお声かけください音符

 

 

友だち追加

※LINEのTOPページにセッションメニューがあります。

 

 

 

コーヒーorganic salon NOELコーヒー