昨日 8:11 ·
◆恐れを食べている、私たち
食卓を囲んで、今日あった出来事など楽しく分かち会いながら、お箸やフォークで食べ物を口に運ぶけれど、その都度一口ごとに、その都度である。あなたは何を思うか。
食べ過ぎてはいないか。
多すぎるのでは、いや、足りないのでは。
野菜は十分取ったかしら。どうしよう、
もうおなかが一杯なのに野菜を食べるのを忘れてしまった。
とにかく、このサラダだけは食べておこう。
有機野菜だっていうし…。
それにしても、ドレッシングがきついわね。
私の体には、これは負担過ぎるわよね。
もっとあっさりしたものが私には必要なのよ。
ところで産地はどこかしら?
油はいい油だわ?!
お塩にはこだわりがるのよ、私!
チーズはどうかしら。
私大好きなんだけど、誰からか肥えるって聞いた気がするわ。
いつもチーズを食べ過ぎているような気がしているのよ。
麺類も大好きなのだけど、ほんの一口しか食べないことにしてるわ。
だって、あと三キロやせたいと思っているんですもの。
果物は大好きだけど、糖分が多いのはだめ。
気をつけて選ばなきゃ。
たとえ糖分が少ないものでも、大好きなために食べ過ぎだけに気をつけよう。
だって、あとでケーキも食べたいし、コーヒーだって飲みたいし、本当はコーヒーにミルクと 砂糖をタップリ入れたいのだけど、午前中にも一杯飲んだことだし、今はやめておこうかし ら。
それにしても、ここのケーキはバターが多いわね。困るのよね。
何だか頭が痛い感じがするわ。
やっぱりワインはやめておけばよかった。
もう毎日のように、なぜかアルコールを口にする機会が多くて、一応付き会いも あるし、無下に断ってばかりは、おられないことぐらいわかってはいるけれど、本当に毎日だもの。
今夜は夕食をパスしようかしら。
でも、友達の誕生日だし。
糖質制限もしているし…。
一体どうしたらよいのかしら。
あれ、考え事をしているうちにケーキをこんなに食べちゃった。
ケーキは別腹よ。
えーい、コーヒーの残りも全部飲んじゃえ。
でも、こんな事するのは今回限りよ。
次からはちゃんとするわ。
私、三キロ減を目指してダイエット中なのよ。
今回こそ、絶対にやるわよ。
もう二度も失敗してるし、私本当にやせたいと思っているのよ。
この夏までに三キロやせておかないと、新しい水着が着れないのよ。
去年の夏、みんなに約束したことだし。
こんなふうに、あなたは一口ごとに考えていませんか。
これくらいなら、まだマシの方で食品ごとの栄養や、カロリーや、ビタミンや、ミネラルや、たんぱく質や、食物繊維など、それに鮮度や、食品添加物や、防腐剤や、着色料や、もう、ありとあらゆる自分の持つ情報が、お箸やフォークと共に食べ物にまとわりついて、口に運ばれるのである。
一口食べるごとに、おなかがふくれるよりも、頭の中が恐れでふくれていく。
私たちは本当に食事をしているのか、恐れを増やしているのか。
転載以上。
うまい表現だなあと思いました。
男性なのに、女性の心をここまで表現しているのが凄いなあと。
またまた昨日の記事に繋がりますよね。
本当、目の前にある問題の大元は、みんな同じなんですよね。
現代は、どれくらいの人が【素直】に食事をしているのでしょうかね。
安心するために仕入れた情報によって不安が増えて生きづらくなる人は多いです。
何度もブログで書いていますが、自分のキャパ以上の知識は得ても【ただのゴミ】です。
自然派狂を経た今、確信します。
情報を得れば得るほど、益々不安になったり、自分の意見とは違うアンチに怒りが湧いたりするだけ。
大元に不安があり、承認欲求の強い見て見てちゃんの場合、それ(正しいこと)を声高に叫んで、うまくビジネスにつなげていきます。
この正しいことというのが曲者で、道徳的であるとか、環境に優しい、健康に良いとか、社会全部が反論できない絶対的なものであることが大事なのです。
あなたが食べている肉のせいでこんなに森林が消えている!!!
とかね。
典型ですね。
元をたどれば、不倫叩きと同類なのです。
もはや、正義などどこにもないんです。
現実を直視しない、空想の正義です。
等身大の自分を見ない、理想の自分を追いかける、そういう人ができる芸当なのです。
自分を否定していなければ、アンチが生まれることもありません。
○○反対 VS ○○賛成 = アンチ VS アンチ
ここは、理想が理想すぎて不自然になっている世界です。
正義とは人の数だけあるのです。
正義こそ、人が創り上げたものだからです。
そんなものは本当の自然、宇宙には存在しないのです。
誰もが知っていることですが、自然とは時に膨大な数の人間の命を奪うものです。
本来のありのまま、”自然”とは、そういうものなんです。
原発やワクチンや添加物云々の世界は、現実を直視しない、空想の正義で生きている人たちの不自然な世界です。
綺麗ごとでは生きていけないのが現実でしょう。
現実を見ていないのです。
ビジネスをうまくやる人というのは、時代の流れにうまくのるひとです。
添加物がダメだ教の教祖は、添加物の恐怖をあおりに煽って、無添加の食品や無添加の化粧品を売ります。
全体の多くが、その正義に反するものを使い食べて生きているというのに。
教祖も、信者も、根底に大きな不安が無ければできません。
本人は、【私は不安です】とは声に出して言わない(本人は気づいてない)にしても、不安な人は不安な人だけを呼び寄せます。
類は友を呼ぶ。
なので、添加物がどうのとか、ワクチンの中身どうのとか、あれが身体に良いとか悪いとか延々と言っている人の信者というのは、全員、不安障害を抱えています。
もちろん、そのリーダーは、実は信者よりも重度の不安障害です。
だから、誰よりも暴走(努力)する(できる)わけです。
オーガニックで添加物が無い方が良いのは至極当たり前のこと。
余計なものが体に入らない方が良いのなんて、当たり前のことなんですよ。
そんなの誰もがわかっていること。
でも、それを【自然でなければならない】とすると、本当はトラック一杯食べなきゃ問題ないような物質までも恐れるようになるんです。
これは、間違いなく【病】です。
正しい道にいないと不安なお母さんはたくさんいます。
これでいいのか常に不安なわけです。
本当は、これでいいかの答えを探す前に、自分の不安と向き合わないとならないんです。
そこを観なければ、どこに向っても結局同じ穴に落ちます。
でも、多くの人は、その本質、突き動かされる根底の【不安】を拭うために情報(答え)を仕入れ、安心しようとするわけです。
でも、その行動は本質的に間違えているので、見本と合っていれば安心、違うと不安、という条件付きの安心になるだけなのです。
自分が狂っていることに気づける人間は、狂人ではないです。
狂っていると、自分が不自然なのには気づけない。
この状態の人は、誰の言葉も耳に入らないし、バイアスを壊すのに必要な意見ほど反発してしまいます。
結局、根底にある”ありのままではダメな私”が芽を出して、水を欲しがり、うずいていくるとこの病が発症するのです。
もともとの【生きることへの不安】があるのとないのでは、人生は天と地ほどの差が出ます。
【幼児期に絶対的に安心できる場所があったかどうか】
この感覚は人生を決めるといっても過言ではないです。
ありのままで良い感覚を体感するのは、幼少期をすぎると難しいです。
【三つ子の魂百まで】とはこのことですね。