続編です。
心の根底に、【自分が欠けている】 という概念があるまま、【この世は無なのだ】と信じれば、この世が【虚無】になって当然だということは、想像できると思います。
瞑想が、心地よいと感じることができない限り、悟りを頭で理解しても、【虚無感】が残るのと同じです。
虚無とは、感情が無い状態なので、怒りや憎しみよりもエネルギーが下です。
だから、残された選択 【死(解放)】 をしてしまうのですね。
どこがダイエットと似ているかというと、、
ダイエットでは皆さん、【食べない】ということをまずやりますね。
アメーバトピックスでもよく、”月曜断食の結果!” とか ”12kg痩せた理由” とかがピックアップされていて、【女の永遠の課題】なんだということがわかります。
まさしく、色即是空の 【色】 の世界どっぷりですよね。
そもそも論で 【太っている人間はダメだ】 という 【間違えた認識】 がある限り、【要らないストレス】を生み続けます。
自分で【欠乏感】を創り出しているのに気づけないと、本当の意味でダイエットはできないでしょう。
先ほどの電話セッションで、元々過食傾向にあった相談者から、「セッションを受け始めたら食べる量が減りました!」 と言われました。
ダイエットしているわけではないのです。
【気持が安定】 してくると、自ずと食が整っていくのです。
本来は、それが、正当な減量の仕方です。
月曜断食など、ダイエットブログを覗くと、だいたいが、「水曜にドカ食いして0.5kg増えた!」など書いてあります。
ダイエットとは、【食べない時を どれだけ心地よく感じられるか】が要なのです。
【食べない】ことを【我慢】だと捉える以上は、必ずリバウンドが起こります。
だから、ドカ食い⇒ 極端な断食 ⇒ ドカ食い ⇒ 断食 エンドレスです。
ストレスから成り立つ 【リアル】 が観えるでしょうか?
その根底にあるものに目を向けないと、ダメなんです。
【食べる】という行為は、ダイレクトに【感じる】ことなのです。
なぜなら、食べないと死ぬから です。
この 【美味しい】 という意味の 【感じる】は、生理的なものと繋がっているので、残りやすいというか、(この感覚すらなくなってしまっている人も居る) 感じやすいんですね。
ストレス過多の人は、身体に意識が向いていません。
だから、感じることがなかなかできない。
だから、身体がおろそかになっているので、食べて感じたくなるんです。
人生に要らないもの、他人の態度、他人の状態や、他人が持ってる物、他人のうちの芝生の色など、余計なものばかり感じ取って、大事なものを感じられないという、過敏不感症なのです。
【何を持つ】 ことが 【自分の価値】 を上げるのか?
【思考】だけで生きている、【色】の世界の人ですね。
摂食障害でいうとわかりやすいですが、食べること を 【快楽】 【中毒】 としてますから、ストレスがあればあるほど、身体に良くて自然なものではなく、甘くて旨味の強いような、【刺激の強いもの】を求めます。
ストレスを癒すために、余計に食べてしまうのに、そこは見ずに、数字(体重・結果)だけ負うのは、無謀ですよね。
我慢するのではなく、本当の自分が感じたいものを、感じてあげればいいのです。
頑張って手に入れないとならないものは、頑張って手に入れる価値など無いのです。
本当に価値のあるものというのは、自然体で手に入ります。
自分が、今、手のうちに在るものを、大切に思えないということほど、不幸なことは無いのです。
だからこそ、みんな遠回りするわけです。
身体健康だと、身体を気遣わないのと同じことです。
だから、遠回りし、病気になると、気づくんです。
そうして気づけると、病気になったことすらもありがたいと思える。
少し良くなったことも、ありがたいと思える。
昔の厳しい修行というのは、当たり前のことを、当たり前にありがたいと思うための遠回りなんだと思います。
ガウタマシッダールタも、嫁と子供を捨て、裕福から極貧へ行って、ようやくゼロに戻ったわけですね。
スタートして、マイナスになって、スタートの地点に戻ること、そのゼロ地点が、【空】ですね。
しかし、そういう苦労をしなくても、最初からわかっている人もいるのです。
むしろ、遠回りしなくても、わかっている人こそが、【真に悟っている人】なはずです。
真にわかっている人は、他人に教えようとは思わないと思います。
淡々と、【今に満足】していると思います。
私はこれでいいのだ、と。
だから、あなたもそれでいいのだと。
修業をしたから偉いとか、悟りを拓いたから偉いとか、あの人は凄いとか、そういう固定観念を持ったまま、悟りを拓けるわけありません。
まさに、【色】の世界そのもの。
結局、「痩せて足が細くなりたい!」というのと、「悟りを拓きたい!」というのは同じ部類の【色】 です。
痩せたいと思って食べないという行為(抑圧・我慢)をしているうちは、真の減量には近づけないばかりか、正常な機能さえも失う可能性があります。
悟りも同じですね。
【悟り】という、【物質化した】ものを追いかけているうちは、【大事なもの】が観えないままでしょう。
体重が増えたという【結果】だけをみているから、【結果】を動かしたくなるのです。
結果そのものは動かせません。
結果とは、必ず 【種】と【環境】が揃ったものです。
変えられるのは、種と環境です。
結果をコントロールしようとするから、堂々巡りで繰り返すのです。
それこそ、エゴの最たるものです。
【食べてしまう自分を見つめる】ことが何よりも大前提なのです。
【悟りが欲しい】 と思う、自我を見つめることが何より大前提なのです。
今ある豊かさに気づけない人に、あるものに目を向けることはできません。
空の蒼さも、鳥のさえずりも、肉体器官として見て聞くだけ。
人は、観たり聴いたりもできるんです。
ダイエットは我慢では続きません。
耐えるだけで悟りは拓けません。
本当に体重を適正にするには、自分と向き合うことは大前提だと思います。
悟りを拓くにも、自分と向き合うことが大前提です。
拓くのは、単なる結果なので。
自分がコントロールできるものではないのです。
だから、手放せ、と言われるのですね。