母は私を産んでからすぐに家を出されたので、私は母の存在を知らない。

 

 

写真が1枚も残っていないので、顔も知らない。

 

 

父はそれからアルコール依存症になり、酒浸りで働かず、祖父は風呂場で倒れて耄碌していて、動ける祖母が全ての家事や育児、父のストレスを受け止める役をこなしていた。

 

 

 

父と食事をした記憶はなく、いつも酒を飲んでいた。

 

 

 

予測できない些細なことでスイッチが入り、怒りはじめると収拾がつかず、警察がくるまで暴れた。

 

時には私を台所の地下に閉じ込めたり、ベルトで脅したり、寝たきりの祖父を蹴りあげたり、包丁を持ってきて祖母を脅したりした。

 

 

 

父親が家にいて、穏やかな日は1日も無かった。

 

 

 

学校から帰ると、父が精神病院へ入院したことを聞き、飛び跳ねるほど喜んだことを覚えてる。

 

 

 

そんな平穏な日々はあっという間に過ぎ、数カ月ですぐに元通り。

 

 

 

警察の前では平謝り、兄妹が来たときだけへこへこして、また酒をのんで暴れる。

 

 

 

時間構わず夜中に皆をたたき起こし、酔っぱらって屋根に登り、死んでやると叫んだりした。

 

 

 

 

本当に死んでほしいと心の底から願った。

 

 

 

こんな父に生まれ、母親さえもいない。

 

自分の人生はどうなっているんだ?

 

こんな家に生まれた自分を呪い、どれだけ憎んでも死なない父親。

 

呪っても逃れらない現実。

 

 

 

毎日父親の顔色を伺いながら、機嫌を取り、心の中ではびくびく暮らしていた。

 

 

 

パチンコで負けたり、嫌なことがあれば、何もなくても理不尽に怒りだし、昼夜構わず暴れだす。

 

 

私は雨でも雪でも夜でも裸足で交番に走った。

 

おかげで、足が早くなった。

 

父を怒らせたら、祖父母が殴られる。

 

私は必死で、父の機嫌を取った。

 

 

それが生きる術だったのだから、人の顔色を見て機嫌をとることなど、朝飯前だよね。

 

 

 

どんな子供も、救われて光を与えられるべきはずなのに、私の周りには寄り添ってくれる大人はひとりもおらず、私の人生には何の希望も与えられなかった。

 

 

 

父親の兄妹が集まったとき、誰かが私の手相を見て、「何の苦労もしてない手相だね」と言ったことを今でもよく覚えている。

 

 

 

そういう大人しかいなかった。

 

だから親戚の誰一人も、支えにならなかった。

 

小学校の先生も、家には近づきたがらなかった。

 

 

 

 

私の親は、誰が見ても、あきらかに、悪い親だった。

 

 

 

だから、私は堂々と憎めた

 

 

 

祖父が死に、祖母が死に、自分が自分を持ち始めて、そこから自分の人生というものに改めてぶつかり、苦しんで、親も苦しかったんだということを実感した。

 

 

実感はしたけど、本当の意味で許すことはできず、”虫けらの以下の親”から”苦境を乗り越えられなかった親”というレッテルになった。

 

 

当時は、私は親とは違うんだ。という意思だけで、生きていた気がする。

 

 

私が死ななないための、プライドだよね。

 

 

それから長い時間がかかったように思う。

 

 

思い込みで必死に生きていた気がする。

 

 

 

子供が生まれて逃げ場を失い、徹底的に自分と向き合うしかなくなったことが幸いだった

 

 

 

なんでこんなに向き合うのかって、子供を大切に思うからなんだよね。

 

 

愛されてない人間が、子供を愛せるわけないと思ってた。

 

だけど、私にはちゃんと愛せる心があった。

 

それに気づいた時、憎んだ親から受け継いだものは、憎しみだけじゃないって認められた。

 

 

 

子供が、身をもって教えてくれたよね。

 

 

 

自分が豊かになって世界が変わり、違う次元で人生を振り返る。

 

 

 

父親も、祖父母も、先祖からのカルマを代々持ち続け、苦しみながら人生を歩み、昇華できずに死んだんだってことを改めて感じた。

 

 

 

父親は、祖父母に対して「なんで俺をこんな風にした!答えろ!」と罵声を浴びながらなぐっていた。

 

 

 

当時は、最低なところしか見えなかったけど、今ならわかる。

 

 

あんなにひたむきに生きているように思えた祖父母は、私の父親に、そう言われる育て方をしたのだ。

 

 

 

祖父は、もの凄く厳しかったと聞いている。

 

 

 

父親もまた、ありのままの自分を認めてもらえなかったのだ。

 

ありのままの自分を信じてもらえなかったのだ。

 

”親の理想である良い人間” にさせようとされたのだ。

 

 

 

 

その苦しい想いを、自分の身を削りながら、誰ひとりに認められないまま、死ぬまで反発していたのだ。

 

 

 

原因不明の火事で死んだ父は、葬式でも親戚に言われていた。

 

 

 

「あんな生き方だからこんな死に方するんだ」

 

 

 

父は、死んでも報われなかった。

 

 

 

父が逃げきれずに死んだ、半焼したアパートでは、断酒の会のパンフレットが燃えずに残ってた。

 

 

 

父がカルマをそこまでにしてくれたからこそ、私は昇華できたと思う。

 

 

祖父母も自分の父母から受け継いだ、どうしようもない業を持っていたのだ。

 

 

それを昇華できず、私の父に受け継がせたのだ。

 

 

カルマとは、世代を超えるとどんどん大きくなる。

 

 

 

父は、自分の親のカルマで自分の身を滅ぼすまでになったのだ。

 

 

 

それを私が悟った瞬間、祖父母や父は間違いなく成仏できたと感じる。

 

 

 

 

心の底から死んでほしいと願った自分の父親への気持ち。

 

憎んでも憎んでも、父親に死んでくれと伝えても、私の気持ちは収まらなかった。

 

父親は、私の憎しみを受けとめた。

 

私が徹底的に浴びせた罵声に、何一つ反発しなかった。

 

何一つ言い訳しなかった。

 

それでも、私の気持ちは収まってなかった。

 

 

父が焼け死んでも、私の気持ちは本当の意味で昇華できてなかった。

 

 

本当は、愛されたかった、大好きだったと、自分の気持ちを認めたとき、ものすごい変化が起きた。

 

 

 

 

許す以外に、本当の意味で、自分が登れる道はない。

 

 

 

 

父がそこまでにならず、世間的に見て善良な親だったら、私は父と同じように、昇華できずに自分が身を滅ぼしていたと思う。

 

 

 

親が私に善悪を押し付けて育てたなら、私は誰に手を添えることもできなかったでしょう。

 

 

 

そして、自分の子供にカルマを継がせることになったかもしれない。

 

 

 

 

そう考えたら、今が、奇跡だ。

 

 

 

 

カルマは、昇華しない限り必ず大きくなる。

 

 

怒りや憎しみを持てば持つほど、自分のカルマが大きくなる。

 

 

それを出さずに我慢すればするほど、さらに大きくなる。

 

 

 

 

父が身を滅ぼしてくれたからこそ、私はここまでこれたと、今、心の底から思える。

 

 

 

 

そうして、やっと言える。

 

 

 

 

”産んでくれてありがとう”

 

”憎ませてくれて、本当にありがとう”

 

”あなたは立派な父親だった”

 

 

 

 

お父さんが受け継いだ大きな大きなカルマを、私は昇華したよ。

 

 

 

 

先祖代々続く業を、消滅させたということだ。

 

 

 

もう、私の娘達は、私の背負った一切のカルマを継がない

 

 

私は、子供に対して、これ以上のプレゼントってあると思えない。

 

 

 

娘達の人生に関わるだけでなく、すべての先祖が報われ、成仏できたということ。

 

 

 

間違いなく、すべての先祖が見守ってくれてると感じる。

 

今、自分が生きていることに、感謝しかないのだから。

 

 

 

 

私が思い出す父や祖父母は、いつも微笑んでる。

 

 

 

 

本当に、ありがとうしかない。

 

 

 

本当に、すべてに感謝しかありません。

 

 

 

 

最高であり、最強です。

 

 

 

 

 

 

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