あとぴっ子ってかわいいですね
気に入った
昔娘が酷かったころ、アトピーという名前すらも憎んだっけね。
良くなってきたのは、そんなことも何とも思わなくなってきてからです。
何をやったからとか、何かと理由つけたがるけど、ベースは心の状態と繋がってる。
やっぱり、精神状態ってのは現実を作るんです。
娘①と娘③、先行って座ってるのが娘②。
12歳&5歳&8歳です。
8年前、2012年の9月がこれですよ
今では何にもしなくてもつるっつる
思春期になって、おしゃれとか気にし始めた娘①を見てると思う。
薬を使わない道を選んで、本当に良かったなって。
ステロイド塗っても治った人もいます。
それはそれでOKなの。
でも私は、自分の選んだやり方で心底よかったと思うんです。
8年前、娘が黒いソファーに座った後は、掻いて剥けた皮で真っ白でした。
当時、私は娘と一緒に寝ていました。
夜中に隣でボリボリボリ、凄い力で掻きむしる娘をみて、眠れず、悔しく、どうしていいかわからず、本当にやり切れない思いをしましたね。
その時に思ったんだよね。
娘が思春期になったときに、自分を鏡で見て辛い思いをさせたくない!
これだけが私の希望の光だったな。
掻きまくる娘を見て、毎晩ソファーで泣いたっけ。
私は医者を毛嫌いしてたし、とはいえ他の誰も信じてなくて、誰かに習って自然治癒を選んだわけじゃないから、このまま娘が治るのかどうか、不安で不安で仕方なかった。
毎晩折れそうで、というか、折れて折れて、折れまくった。
折れた心を支えたくれたのは、旦那君だね。
辛くて辛くて、夜中にキッチン行って、ウイスキー飲んでた私の隣にそっと座って、何を言うわけでもなく一緒に飲んでくれたの、今でも覚えてる。
「大丈夫、必ず良くなるよ。」
この、何の保証もない言葉が、どれだけ私を救ったかと思う。
「無責任なこと言わないでよ!」と言い返していたらどうなっていただろう。
そういう余力があったら、もっと悪い方向にいっただろうな。
私が自分を責めながら、医者や薬を否定し、目の前には酷い現実。
この状態で、旦那さんにまで「子供がこんなになってるのに、お前のやってることは間違えてる!」そう否定されたら、私は死んでたかもしれない。
それくらい辛かった。
だから、今苦しんでいる人に、私が想いを伝えることは、何かの力になるかもしれないと思ってる。
理解者がいなくて、目の前の子供が酷くて、孤独だと本当にキツイよ。
旦那さんの言葉と態度、ステロイドを塗っても良くならないまま大人になった人たちの声、そして思春期の娘への想い。
これが合わさって、自分を信じれらたから今がある。
必死だったわ。
無我夢中の数年間だったね。
完全にアトピーに支配されていたよ。
これが私のカルマの解消だったんだなって、今は心の底から思います。
西洋医学100%の人なら、「いやいや思いと病気は因果関係ないから」って片付けるでしょうね。
そして、目の前の子供が酷いときこそ、関係づけたくないもの。
「わたしのせいじゃない!!」
「ぜんぶ私のせいだ・・・」
これ、実は同じなんですよね。
ただのコインの裏表です。
こう思っていたい人は、「あなたのせいじゃないよ」「偶然のことだよ」と言って慰めてくれる人に近寄りたがります。
現実(フェイク)が辛すぎて、冷静になれないので、心の余裕が無いんです。
慰めてもらって、余裕が出てきて、冷静になれればいいのですが、結果的には、なれない。
甘やかされているだけなので。
自分のせいじゃない、自分のせいだ、逐一こういう考えをしてしまう人は、心の中の業が深いんです。
業(カルマ)っていうと、過去生から受け継いだ悪行、みたいに感じる人も多いかもしれませんが、違います。
ただ、親から受け継いだものです。
言い換えると、自分の親が解消できなかったカルマのこと。
これは、いろんな人の子育てを見ても、間違いない。
あとぴっ子のお母さん自身が、親から受け継いできた業が深いということです。
自分の業を解消(見ない)しないまま、子供を産んだのです。
解消していないということは、自分が親にやられた事、辛かったこと、悲しかったこと、これらすべてが親の心の中にそっくりそのまんま残ってるんです。
そうするとどうなるか?
親の心が傷ついたまんま子育てをするということです。
そうするとどうなるか?
自分の子供の心も、自分の心と同じように傷ついていくのです。
解消されてないので、これは当然のことなのです。
親からやられて嫌だったことをしっかり受け止め、傷ついた心を自分で癒して初めて、誰かにやらないでいられるわけです。
傷ついた自分の心を見ないふりをして、封じ込めて、観えなくなっても、それはそこにあるまんまなのです。
解消されないまんま、そこに在り続ける。
自分の意識には登らなくても、そこに在る限り、無意識に影響し続けるんです。
その陰が、子育てをする中で、日常の、ほんの些細な言葉かけや態度に出るのです。
本当に些細な言葉かけや態度が、子供を深く深く傷つけていきます。
自分の一日の行動を、ビデオに撮影してみたらわかるでしょう。
自分を善人だと思っている人ほど、抑圧しているものです。
親が自分の中で解消できなかったカルマを、子供に与えるのです。
そして、それを受け継いだ子供は、それを拒否できず、親への無条件の愛から無心に受け取り、そして言葉にできず、身体で出すのです。
目の前の、子供のその症状は、親の心の傷の具現化ということです。
信じない人がいて当然です。
でも私は、間違いないと思ってます。
子供の病気や問題行動、全てがそうですね。
子供は、自分の身体を使って訴えてるんです。
「お母さん、私は大丈夫だから、自分の心の傷を癒してね」
ここに気づかないと、何をやってもその場しのぎになるのです。
薬で押さえつけたところで、喘息になったり、違う病気になったり、それがダメなら登校拒否をしたり、先生や親を困らせたり。
全て、子供が親の心の鏡となっているのです。
それをわからず、自分は子供を産んだだけで親になったつもりで、年を取っただけで教えられると勘違いし、できない子供を責めていれば、子供の心はどうなるでしょう。
カルマは世代を超えて、雪だるま式に大きくなります。
そうやって、受け継がれていくのがカルマです。
無意識というのは素晴らしく、そして、その力は強大です。
その業を解消しない限りは、本質的には治らないです。
私は確信しています。
私は、自分がしてきたことを思い返し、何度も何度も子供たちに謝りました。
生まれてから、傷ついたであろう子供の心を想い、話し合い、何度も泣きながら謝り、感謝しました。
自分を責めずに。
私が自分を責めている限りは、子供も自分を責める。
だから私は自分を責めない。
起きたことをありのまま受け止め、そして、いま目の前に在る現実をだけを見る。
そうすると、心の底から感謝が湧きます。
私がそう在ると、子供たちも勝手にそうなっていく。
「大変だったけど、いま気づけたから良かったよね」
子供たちが、そういう目線で言ってくれるようになりました。
肌が良くなっても、なかなかおしゃれを楽しめないでいた娘①。
そんな娘がどんどん自分を表現しはじめて、自由になっていくのが本当に嬉しい。
こんなに嬉しいことはない。
間違いなく、子供の心に鍵をかけさせてしまっていたと思います。
だけど、この壮絶な経験が無ければ私の今はないです。
間違いないです。
宇宙の法則は本当だなって思います。
どんなに人生が辛いと思っても、それが起こる意味がわからなければ、さらに辛いことが起こるのです。
自分自身が死ぬくらいになっても私は変わることができなかったんです。
自分の子供が病気になって初めて、私は気づき、変わることができたんです。
それって、愛ですよね。
自分にこんなに愛があることすら知りませんでした。
子供を持って、辛い思いをして、はじめてわかったんです。
殺したいほど憎んだ親さえ許して、感謝できるようになったのも、壮絶な経験のおかげです。
ここまでくると、すべては必然だったと思えます。
全ての出来事が私を創っていて、私が全ての出来事を創ってる。
自分の子供だって同じなんです。
娘に私のカルマを継がせなくて、本当に良かった。
心の底の底から思います。
本当に良かったって。
全てに感謝できます。
ありがとう。
苦しんでいる方すべてに、想い届きますように。
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