コロナで休校になってから、小⑤の娘がすんごい活き活きしてる
3人の中で率先してふざけて、面白い事言ってる。
小5娘①は5歳の娘③のことを「かわいい~かわいい~」と言ってすりすりするんだけど。
それが毎日毎日のことなもんだから、娘③は鬱陶しいと思ってて(笑)
それでも全然平気な娘①に、感動しちゃうよね。
最初からそういう子なら何とも思わないかもしれない。
以前の娘①は、自分の思い通りの対応が返ってこなかったらふてくされてたからね。
娘③が鬱陶しいという態度取ったら、
「どうせ私のこと嫌いなんでしょ」ってなってたタイプだから。
いやもうこの変化がね、感動なんですよ。
クラス替えの発表もあったけど、誰と一緒になろうが微動だにせず。
与えられたものにフォーカスして満足してた。
昨日の夜なんて、「前は友達に嫌われないように相手の言うこと聞いてたこと多かったけど、今はほとんど聞いてない。嫌われちゃうかもしれないけどね~」なんて呟いてた。
その言い方で、それを何とも思ってないなってのが解った。
自分は自分で大丈夫なんだってのがどんどん腹に落ちてるってことなんだよね。
これって、本来は簡単なことなのに、大人がややこしくさせる。
そう、昔の私が、ややこしくさせていたわけです。
ややこしくなったまま大人になっちゃうと簡単なことが本当に難しい事になっちゃうんだよね。
悩める大人が必死で苦しんで解決できないことを、いとも簡単に解決してしまう娘①。
やっぱ子供は凄いわ。
世の中の大半の悩みは、作られた悩みだよ。
悩みを解決できない人は、自分が好きで悩んでることを受け入れない人。
受け入れちゃうとプライドが保てない。
プライドが生きる糧になってるから。
親がそれで生きていれば、子供もいずれそうなるのは目に見えてる。
お母さんとお父さんが、子供のためといいつつ自分自身のことしか見ていないことを子供は感じる。
それは何気ない顔をして、細胞の奥深くまで入り込む。
何十年も影響を与え続ける。
どのように生きているか、見習うべき大人の真似をするのが子供。
だから、子供もそうなっていくのは当然の結果。
無意識に、強く強く刷り込まれていく。
一人目を生んだ時、まだまだ私の中には自分の世界しかなかった。
溢れるほど悩みがあって、なんで私ばかりこんなに苦労しなければいけないのだと自分の人生を呪った。
自分の人生を呪って、呪って、呪いまくった。
それを救ってくれたのは、娘①のアトピーだったな。
娘①がアトピーにならなかったら、私はこの状態になれてないと思うな。
育児が辛い、生きるのが辛い、自分が辛い・・・
こんな状態で育児をしてたら、感じてないように見えても子供にそれは充分に伝わる。
子供が親を見てどんな風に感じているかなんて、これっぽっちも考える余裕なかったんだから。
自分しか見えてない。
自分の世界にあるのは、子供のために一生懸命やってるつもりの、自分だけ。
こういう時は、誰に何を言われても説教にしか聞こえないんだよね。
うるさいな人の気持ちもわからないくせにって思うだけ。
当然、私の鼻をへし折ってくれる人はいなかった。
だから自分でとことん苦しむしかなかったんだよね。
ありがたいな。
本当にありがたないな。
こんなところまでこれたなんて、本当に感謝しかないよ。
そう思えるようになってから、娘①が明らかに変わったよね。
やっぱり繋がってるんだなーって思うよね。
だから、自分が大丈夫なら子供は大丈夫って確信できるしね。
自分が大丈夫になれたから、自分がいなくたって子供は大丈夫だって信じられる。
お金を稼ぐ人になってほしいとか、偉い人になってほしいとか、人の役に立つ人間になってほしいとか、そういう願いはない。
子供の人生は、子供が決めるんだから。
だけど、多くの親はそう思ってないよね。
だから、多くの人は、自分で決めたようで自分で決めた人生を生きていない。
子供はもともと完璧なのに、大人はそれを壊していく。
だから、就職し、結婚して、子供を産んでも、マイホームを持っても、苦しむ。
自分で決めてるようで、自分で決めてないからいつまでも苦しい。
自分で決めてないことに気づかないから、それが続く。
そういう子育てだけはしたくないと思ってきた。
子どもの人生を、知らないうちにハイジャックしてしまう親ではいたくないと思ってた。
そうなるには、私が私の人生を生きるしかない。
”親がお手本を見せる。”
子育てって、それ以外にないんだよね。
誰かを助けることもできないけど、誰かを幸せにすることもできない。
あるとすれば、自分が幸せな姿で存在することだけ。
それが結果的に他人を救い、他人を幸せにする。
自分の人生にとって、本当に大切なことは何か。
これを突き詰めてきた結果が今。
自分が撒いた種の花、めっちゃ咲いてるわ
この間、種を買ってきて子供たちと植えました。
最近、子供と居ると、神や霊的なものの存在の大切さを感じます。
その存在があるのとないのとでは、人生が全然違うものになるなと。
”目に見えないものは信じない”
ある種の人には都合がいい言葉かもしれないけど、夢の世界で生きてる子供には、こういう世界はつまらないなと感じる。
そして、何より、大切なものが教えられないなと。
これは花の種。
だけど、これはただの黒い粒ではない。
この小さなひとつぶの中には、言語化できないものこそが、詰まってる。
それを体得させることこそが、子供に必要なことだと思う。
この小さな粒の中に、芽を出し、根っこを張り、花を咲かせ、その命を繋ぐものまでが存在しているのです。
つまり、感動が詰まってる。
多くの人は、そういうものを無視して生きてる。
種の中身を教科書で淡々と説明するだけの授業は、”お金があれば幸せになれる”という子供を沢山作ることだ。
全て言語で説明できるというのは、ある意味、非常に傲慢だということ。
子供の健康についても同じ。
多くの親は、子供の食欲を落とすような食事を与えてる。
それを改善するために物質的なことをあれこれやるだけでは充分ではないことを認識できない限り、本質的な健康はもたらせれない。
”こんなにやっているのに!”
となっているときは、世界に自分しかいない時だよ。
あれもしている
これもしている
全てを言語で説明できるような教育は子供のためにはなりません。
むしろ、全てを言語化できるような状態は、危険。
小さなころに何気なく目にした親の態度、耳にした親からの習慣は、細胞の奥深くに染みつき、30歳、40歳過ぎてもずっと根を張り続けるのです。
親が気軽に、善や悪、良い悪いという判断をすることは、子供の魂の奥底にまで根付き、子供がそのあと撒く種、そして刈り取る花をも決定している。
親が良かれと思って子供に施したことが、後に病気として現れたりすることもあり得るのです。
自分の立場がどれだけ強く子供に影響するのか、それを認識することは大切な第一歩。
”愛”というものが存在することは、親が証明しなければ伝わりません。
自分にとって本当に大切なものは何か?
それが解ると撒く種が変わり、刈り取る花が変わるのです。
親が魂を成長させることは、子供への大きな大きな愛情です。
そんな親の背中を見ながら育つ子供は、幸せに決まっている。
それこそが、愛の存在証明です。
今日も素敵な一日を
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