姉妹が三人だと、プチ社会なんですよね。
なので、二人が徒党を組んでいたりすると、自ずと問題が起きてきたりします。
残された一人は、当然嫌な気持ちになります。
これは、学校などの社会でもよく起ること。
私も、小学校の時は本当に嫌な思いをしました。
でも、嫌な人ってどこにでも居ますよね。
それは自分に対して嫌な人であって、その嫌な人だって誰かに愛されているわけで、自分が嫌だと思う人が誰から見ても嫌な人では無いです。
自分だって嫌な人になり得る。
その事実をバックグラウンドに持つ事はとても大切。
その基本系がバックに無いと、自分が嫌悪感を感じている相手と同じ穴のムジナになります。
今日も姉妹間で、嫌な事があって、娘①は怒ってました。
『いいもん、私だってそういうときにしてあげないから』
『いつも②と③ちゃんはそういうことする』
という感じでですね。
そんなこと言ったところで、②と③は全く意に介さず。
姉妹喧嘩は基本放っておきますが、最終的に誰かが泣いて終わりだったりする。
そこで何かを学ぶかと言ったら、決してそうではないんですよね。
理論は後、強いものが勝つんだ ということを学んでいくと、自分もそうならなければならないとなり、上っ面な強さを手に入れようとする。
小さい頃にそれを手に入れてしまうと、それで結構いけちゃったりする。
だけど、人生はいつも順風満帆ではありません。
いろんなことが明るみになるのは、どん底に落ちたときですよね
周りは大切。
だけど、やっぱり自分なのよ。
だから、子供に対して、親がいつも何を伝えているか、ってすっごく大事だと思う。
先日、娘①の個人面談で、先生とお話したとき、『①ちゃんは自分の意見を述べるときの言葉が素晴らしいお母さんの影響だと思いますよ
』というお言葉を頂きました。
娘のノートを見ると、こんな凄いこと考えてるんだと驚く内容の言葉がずらり
子育ての中で、そういうリターンがあると、あ、私間違えて無いな、と自信の材料になっていくのよね。
不安があったらみんなと違うことなんてできませんからね。
みんなと同じにしてたらどうなるか、自分の周りの普通を見ていればわかりますよね。
それが良いと思っているならいいけど、皆と違うと思うのに、皆と同じをいこうとするのは、イバラの道
何が問題かって、自分の本質を否定していることが大問題です。
でも、気づけないのよね。
自分の気持ちって、気づけないのよ。
自分の本当の素直な気持ちを知ったら、涙出ますから。
涙が出る言葉が、本当の心の言葉です。
『②と③ちゃんがいつもそういうことするから嫌なんだよ』
怒っている娘①に、私は伝えました。
どんなに腹を立てても、相手は変えられない。
あなたが言いたいことは、本当はそれじゃない。
相手にそういうことをされて、傷ついて、悲しかった気持ちを、怒りで隠しているだけ。
なぜ、あなたが相手のしたことに傷つくか。
あなたが、相手を好きだから。
相手を好きだから、傷ついたんだよ。
娘①はポロポロ涙を流しました。
娘②と③はじーっと聞いていました。
相手に伝えたいならる、やり返したい頭の言葉ではなく素直な心の言葉で伝えないと、ずっと同じことが続く。
バカと言われて、アホと返せば、てめぇムカつくんだよと返ってくるのがオチです。
『いいよべつに私だってやんないから
』
そう強がって言い返すから、またやられるんだよね。
嫌がらせしたり、仲間はずれしたり、意地悪したり、そういうことをしている人は、ずっとそういう世界で生きていくんです。
だから、あなたが何をやりかえす必要も無い。
そんなのは本当に時間の無駄。
その時間で、もっと自分の素材を延ばすことができる。
世界は沢山あるし、時間の流れだってみんな違う。
自分が嫌だと思う相手と同じフィールドにいないことが本当に大切。
必ず同調していく。
そういう相手に対して、好きだったから傷ついた、とても悲しい、という以外の言葉は要らない。
どうでもいいことに時間を割いているって、本当に毎日のムダ。
娘①は繊細で深い愛を持ってる。
叩かれても、叩き返すということはない。
本当に素敵なところが沢山在る。
相手のどうでもいいことで嫌な気持ちになって、素敵なところを潰して欲しくない。
そんなことより、好きなことをやって、素敵なとこを延ばして、どうやったら自分が笑えるか、ハッピーに毎日を過ごせるかに時間を使うほうがいい
人間関係って本当に大切だって痛感します
だけど、それって八方美人になれってことじゃない。
子供にとっては親の考えがベースだから、そこのところをよーく考えて伝えないと、一生他人の為にいきることになると思います。
八方美人ほど孤独なものはないよ。
他人の為に生きている人がどれほど多いか。
他人の為に生きてしまっている人だって、好きでそう生きてるわけじゃないのと同じように、自分の人生を生きるというのはただの結果であって、言ってできることではないよね。
どんな人生でもいいけど、自分の人生を生きて欲しいな、とは思います。
だから、親として自分の存在は常に考えてたい。
だけどそれだって、子供のために人生を捧げる程なら、他人の人生をいきることと同じですからね。
そうなっては本末転倒。
やはり、何事もバランスですね