よく人のお悩みNo.1は

“人間関係”って言うじゃない?




わたしたち

人の態度や言葉に腹を立てたり

傷付いたりしますよね。




だけどよくよくその事象を

冷静になって分解すると


けっこう“雰囲気”や

“ニュアンス”で

傷付いてしまっていることって

案外多いと思うの。




* * *




そもそも言葉について思うんだけど。




普段わたしたちが言葉を発する時って

別にはじめから

“コトバ”

だった訳ではなくて


はじめは言語化していない

ほわほわ〜っと

もやもや〜っとした

感情や思考だったと思うんですよ。




で、それを誰かに伝えようとする時に

はじめて

存在する言語に当てはめて

“コトバ”にする。




わたしたちは普段

相手から発せられた“言葉”そのままを

認識しようとしてしまうけど


その言葉って

どれくらい本来の相手が思ったこと

伝えたかったことと

合っているんだろうか…?




* * *




というのは

感情や思考を

存在する言語に当てはめる時って


しょせん

「一番それっぽい言語に当てはめた」に

すぎないんですよね。




そしてその当てはめ方って

けっこうその人ごとで違ったりするし

言葉に乗せるニュアンスも異なったりする。


例えばお菓子をいただいて

ありがたい気持ちみたいな感情が湧き上がった時に

「ありがとう!」って言う人と

「すみません!」って言う人がいるように。

(どっちで表現するのが良いとかはここではさておき

人によって伝える時に選ぶコトバは違うよねっていう例)




湧き上がった感情⇒

言語に当てはめ⇒

相手の解釈

までくると

本来とは全然異なる意味で届いてしまうことも

しばしばあるんじゃないかな。




誰かの言葉に傷付いてしまったり

はたまた腹を立てたりすることってあるけど

よくよく考えてみると

そもそもその誰かの

“コトバ”への当てはめ作業が

適切だったかもわからないし

その誰かとわたしの

言語に乗せてる意味やニュアンスも

少しずつ違うから


わたしはあまり

“言語”での理解だけに

比重を置きすぎないようにしてる。




* * *




話は少し逸れますが

わたしは海外旅行が大好きなんだけど

英語は悲しいかなほぼ喋れなくて(笑)


とかくリスニング力がないもんだから

マジで何言ってんだかほぼわかんないのね(笑)


おしゃべり女だからスピーキングのが得意!笑

圧倒的自己主張!!笑




だからもう

相手の言っている言葉の内容の理解は諦めて(笑)

そう、潔く諦める!笑


「イエス/ポジティブ」なことを言っているのか

「ノー/ネガティブ」なことを言っているのか

だけ

受け取るようにしているのね。




んで大体のコミュニケーションは

それで何とかなっちゃうんだよね!!笑

なるのよ!ほんとに!笑


だから日本語で話す時みたいに

そこまで“正確に”わかろうと

しなくたっていいんじゃないの?って

海外に行く度に感じるんです。




そして

そのあまり言葉を理解しない世界には

嫌味とかお世辞とかないの(笑)


そこには尋ねたことに対する

イエス・ノーしか存在しなくて

いちいち裏を読まなくていいから

正しくは読めないから(笑)


言葉が通じないストレスこそあれど

「あんな言いまわししなくても…」とか

「嫌味言われた…」みたいな

よくあるコミュニケーションストレスは

起こらないんですよ…!✧‧˚




* * *




わたしたちの母国語は日本語だから

言葉を細部まで理解できてしまう。


それ故に

その言葉に乗せられている気がする

言葉の裏側まで

感じようとすることができてしまう。




だから相手の言葉で

傷付いたりしてしまう。




* * *




わたしは

意識的に言葉の“解像度”を落とすことって

重要だと思っていて。




だって思っていることが差異なく

“コトバ”に当てはめられているのかも

定かではないし


そして

母国語だから故

言葉を細部まで理解してしまい

そこに含まれているであろう

雰囲気やニュアンス的なものまで

察してしまっているだけ。


でも実際両方とも

なんていうか

すごく曖昧。




だから

下手に言葉の裏まで読まないっていうのかな

あとまんま“コトバ”で理解しないようにしてる。




例えば仕事で

「あの資料の作成まだできてないの?」

って言われた時

責められたように感じちゃうことって

あると思うんですよね。




遅いって言われているような

仕事できないよねって言われているような

急かされているような

呆れられているような

馬鹿にされているような

そんな気さえしちゃったりすると思うんです。




でもここはあえて

「資料の完成の有無」まで

解像度を落としてしまう。




この人が聞きたいのは

資料が完成してるのかどうか?だけ。


それ以上でもそれ以外でもない

って解釈にする。




傷付くのは

「遅いよ!」って言われてから

「仕事できなさすぎ!」って怒られてからにする。




言われる前に

「こう思ってるのかな?!」

「オブラートに嫌味が言いたいの?!」

とかって思わないようにする。




そうやって少し言葉の解像度を落とすことで

まだ言われていないことで

傷付くことを回避できる。




生きづらい時って

この言葉を

受け取り過ぎている場合がある。




一番近い言語に当てはめただけ

その当てはめも

どのくらい本来の感情

思考に正確なのかもわからないコトバに

そして

その言葉にそれ以上のニュアンスを

察して付け加えて

必要以上に受け取りすぎるのは

ちょっともったいないと思うんです。




何だか傷付くな

何だか責められている気がするな

なんか周りの態度に落ち込み気味…って時には

言葉の解像度を落とそう。