去年の11月11日に三重県立斎宮歴史博物館に行きました。

 

 

11月なのに満開のコスモス

 

斎宮

飛鳥時代から南北朝にかけて伊勢神宮に奉仕した斎王の住居、斎宮、が松阪市伊勢市の間にある明和町に置かれました。

 

源氏物語、伊勢物語でも斎王の話題が登場します。

 

天武天皇(670年頃)の内親王、大来皇女(おおくのこうじょ)が初代斎王といわれ、以来、占い(卜定、ぼくじょうで60名以上の斎王が選出されました。

 

斎王は未婚の内親王や女王で、都を出発するまで、野宮(ののみや)で隔離された生活を送りました。野宮と伝わる箇所は複数あるらしい。

 

 

嵐山では行列も。

 

斎宮から約15Km離れた神宮に斎王が参拝するのは三節祭だけ(6月、9月、12月)。博物館サイトによると外宮内宮では祭典の日がずれていて、外宮から参拝。

 

 

東西約2キロメートル、南北約700メートルに及ぶ巨大遺跡びっくりで発掘は50年以上継続中です。ここが選ばれた理由は不明です。

 

写真の左側に写っているのは近鉄山田線↑で、近鉄斎宮駅は平安時代の斎宮の中にあります。


駅の北側にある歴史体験館↓

 

さりぃのお目当ては博物館の「海の祈り」展と講演会でした。

 

 

講演会

斎宮の話題はゼロでした。

 

古代の神職と供物

現在でも皇室とのつながりが強い神宮ですが古代の神職は全て地元の度会郡(わたらいぐん)出身者。また、外宮、内宮とも天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っていました。

 

神職達は海で禊をするだけではなく、三節祭の供物の一部となる牡蛎、亀の手(ポルトガルでは高級食材らしい)、ミルなどを二見の海(採取場所は時代によって変わるらしい)で自ら採取しました。

 

つまり、神職は浜で漁ができた

 

 

展覧会のキービジュアルは、漁の姿です。衣装を着けてないと普通の漁師になってしまうから神職の装束を着けていると勝手に解釈しています。聞いたらよかってんけど、知らんことばかりでそこまで頭の余裕がなかってん。

 

炊いた米や二見浜の焼き塩も供えられたようですが、作業をしたのは物忌(ものいみ)と呼ばれた子供(女児)で、巫女の代わりらしい。

 

二見浜には内宮の摂社、堅田神社が今でもあります(内宮よりも歴史が古い)。

 

神職達が海で供物を採取する行事を内宮では贄海神事(にえうみしんじ、6月)、外宮では浜出神事(9月)と呼ばれました。

 

明治維新直後に行われた神事に関する書状(個人蔵)が展示されていましたが、明治の初めに神事は途絶えました。

 

神事の式次第の一部

•由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)

 午後10時に供物を正殿の階段下に捧げる(地元神職のみ、外宮15日、内宮16日)

•由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)

 午前2時に供物を正殿の階段下に捧げる(地元神職のみ、外宮16日、内宮17日)

•正午に朝廷からの奉幣正殿の中に奉った(外宮16日、内宮17日)これに斎王が参加?

 

地産地消の供物と皇室からの奉幣の位置が違うところが面白い。こうやってみると斎院側からはアウェー感強い感じがするわ。

 

 

•10月の新嘗祭では勅使も来ていた

•現在も皇室から幣帛の奉納はあるが、勅使は来ない

 

二見興玉神社

二見が浦にある二見興玉神社では現在でも藻刈神事が行われています。

 

夫婦岩の先にある興玉神石(江戸時代に津波で沈んだらしい)の周りの海藻を神職達が船に乗って採取。

 

藻は無垢塩草としても神社の授与品で、お風呂に入れて自宅で禊ができます!

 

塩で清めるという発想時代も古代からあるんかな。

 

↓こういうグッズもあるよね。

 

展示

三島由紀夫の小説「潮騒」(映画にもなった)の舞台となった神島にある八代神社には奈良~平安時代のがあって、重要文化財に指定されています。

 

 

さりぃは行ったことはありませんが、階段はかなりきつそうです。

 

 

 

祇園祭

斎宮は大淀浜で禊をしたようですが、手順は不明です。

 

 

大淀浜や愛知県の津島では牛頭天皇信仰が盛んな地で天皇祭が現在でも行われます。

 

こちらは山車の海上渡御と花火もあります。

 

愛知県津島市の天王祭はユネスコ無形文化遺産登録されています合格

 

 

盛大な船祭りの様子を描いた津島祭礼屏風(高度複製品)も展示されていました。オリジナルは大英博物館所蔵。

 

 

 

川やから大阪の天神祭りに見た目は似ています。


京都の八坂神社も明治維新までは牛頭天王を祀っていたので同系です。こちらは鴨川での神輿洗いが大事だそうです。

 

(終わり)