明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお付き合いくださいませ。

 

年を越してしましました💦、続きです。


先ほど(元旦)の地震のお見舞い申し上げます。福井市はかなり揺れた地域です。

博物館を後に小雨の中、遺跡に。

 

復元街並

朝倉氏滅亡当時の街並みが200メートルに渡って再現されています。雪に耐えるためか通常の住宅も掘っ建て小屋ではなく礎石の上に建てられているので、区画は正確合格


 

復元住宅の中にも入ることができました。窓ガラスはないから冬は寒そう不安

 

レベルの高い都市インフラ

特徴の一つがほぼ各戸に井戸とトイレがあり、感染症にも強い都市部でした。


井戸の枠はたぶん福井名産の笏谷石

同時代の京都、時代が下った江戸の町でも庶民は共同井戸だったので、住宅インフラのレベルが高い!

 

笏谷石は青みを帯びた火山岩の一種で、加工がしやすいらしい。

 

屋根瓦も笏谷石。


日本で一番、最初にトイレ遺構が発見されたのも一乗谷。立派な石組で、木製の金隠しが出土するまで何か不明だったようです。

 

トイレという決定的な証拠は寄生虫。

 

水路も巡らされています。

 
町屋からは茶筅、茶杓、墨も出土しました。皆さん、趣味人だったのね。水上勉氏の描く福井県とはかなり違います。
 
 

当主館地区

政治の拠点であった当主館を中心とした地区で足利将軍義政を迎えた場所です。博物館にあった説明図↓

 

背現在の西門は江戸時代に建立された寺、松雲院、の門で朝倉氏の菩提を弔いました。信長に滅ぼされた最後の義景の墓はリアルタイムには作られなかったようです。

 

 
松雲院は歴代福井藩主に保護され、昭和になって発掘が開始されると統合移転して心月寺(曹洞宗)として存続しています。

後の山から撮影、緑🟩の長方形は花壇で縁は笏谷石の切り石。建物に囲まれた中庭で、記録に残る花は越前では水仙ですが、桔梗や萩の花粉も出てきたらしい。

 
花壇だけではなく庭園遺構がありましたが、肝心の石が切れてしまった😿

将棋の駒が外堀から発掘されました。厩の半分が板張りだった、そこが家臣のたまり場で将棋を指していたと考えられています。

 

 
朝倉将棋と呼ばれ、現在の将棋とはルールが違います。

 

庭園
館跡を裏山にも庭園遺構があります。
ちょっと足場は悪かったですが、石はやっぱり雨の日がきれい。東尋坊の石とか和歌山の青石(緑泥石)も混じっているのですが、どれがどれかは?でした。


湯殿跡庭園
三尊石がどれか?というのも諸説あり。

諏訪館跡庭園

一乗谷で最も大きな庭園で、義景の側室の小少将の館と伝わります。
石に刻まれた碑文は江戸時代のものらしい。


戦争中に芋畑を作るために、礎石が移動されたので、屋敷跡の情報は失われました😭


今回、見ることのできなかったスポットも多いので、ぜひ再訪したいです。

終わり