ブログの更新御無沙汰しておりました。
阿倍野and(10月15日迄 終了済、すみません)にある奈良県アンテナショップ奈良のトビラ」で見つけた法隆寺関連イベント(開催地はいかるがホール)に行きました(9月30日)。

 

法隆寺は日本では富士山と共に初めて世界遺産登録され、早30年。世界でもっとも古い木造建築物(ギネスブック掲載らしい)が、選定理由のキモですが、当時の大陸と日本の交流を覗うことができる、仏教伝来直後の様子もわかる、こともポイントとして挙げられたらしい。

司会をされた斑鳩町教育委員会平田正彦氏はブラタモリにもご出演。こんな説明サイトあるんや↓

 

寺内にお住まいで、最近はまれやけど雪が降った後、誰も歩いていないところに足跡を付けることが楽しみほんわかとおっしゃっていました。

 

大工の神様、聖徳太子

聖徳太子は建築業界の神様として崇められて、職人達が太子講を催しました。↓によると室町時代末から2月22日が太子講の日になったらしい。

 

曲尺を持った聖徳太子像は法隆寺の宝物館でも拝見しました。曲尺は国際的な新規技術導入のシンボルらしい。

宮大工の小川三夫氏(現代の名工)も登壇。小川氏は栃木県から修学旅行で法隆寺に来て、五重塔に魅せられ、この道に。

 

 

会場にあったパネル展示。許可を得て撮影。

 

白州正子さんが「十一面観音巡礼」の「登美の小河」の章で法輪寺の塔を建築中の若い頃の小川氏を「未婚の娘がいたら嫁がせたいような好青年」と大絶賛

 

 

 

法隆寺の昭和の大修復など、数々の大事業を行った西岡常一棟梁の唯一の内弟子が小川氏。鵤工舎(いかるがこうしや)を立ち上げ、そこで後継者の育成もされています。共同自炊生活が基本で、新人はご飯作り(30分で10人分なので、段取り力がわかるそうです)と掃除(性格がわかる)を担当します。

 
先走りをして教えない、人は育っていくもの、おっしゃっていました。ノコギリがない飛鳥時代は不ぞろいな木を文字通り適材適所に組み上げました。巨木の運搬も人力のみなので、古代の塔は知恵の塊やとおっしゃっていました。
 
師匠の西岡棟梁は西里藤ノ木古墳のそば)の宮大工の棟梁の家に生まれました。

 

 

西岡棟梁は槍鉋(やりがんな)の復元なども行った昭和のスーパー棟梁です。

 
棟梁は「不器用の一心に勝る名人なし」という言葉を残しています。

 

明治期に活躍した彫刻家高村光雲も同様なことを言っているので、ホンマなんやろね。さりぃは不器用やから。粘り強くせんとできないことの多いタイプですが…

 

四天王寺

法隆寺と同じく聖徳太子建立と伝わる大阪の四天王寺にも大工集団の末裔が営む会社、金剛組があります。

 

現存する世界最古として企業としてこちらもギネスブックにも載っているらしい。

 

 

建築業界の集団といえば、陰謀説がささやかれるフリーメーソンも元は石工の組織。結束が固い広域ネットワークが「乗っ取られて」秘密結社に変わったと確か橘玲さんの本で読んだ記憶が…

 

 

飛鳥時代には寺院建築を担う人達は大陸から海を渡ってきた先端技術者で、城の建築などに携わった戦国時代には重要機密取り扱い集団やったわけです。これらの人々の末裔は太平の世の江戸時代には聖徳太子を信仰する集団に変貌を遂げたわけやね。

 

高槻市に実際に太子講に使用されていた建物が現存しています。

 

 

(続く)