奈良国立博物館で開催中の「聖地 南山城-奈良と京都を結ぶ祈りの至宝-」の講演会「華開く仏教文化~南山城の古代寺院から」を聴講(7月29日)
【プレビュー】特別展「聖地 南山城-奈良と京都を結ぶ祈りの至宝-」奈良国立博物館で7月8日(土)から
— 美術展ナビ (@art_ex_japan) June 12, 2023
浄瑠璃寺の国宝「九体阿弥陀像」の修理完成を記念。京都府の最南部、奈良市に隣接す地域に伝わる仏像や神像を中心に展観し、この地に花開いた仏教文化の全貌に迫ります。 https://t.co/qhuisbJYBf pic.twitter.com/vVin66Sutj
講師は考古学をご専門をする菱田哲郎先生(京都府立大学)。
木津川流域の南山城は京都府南部ですが、奈良の文化圏に属します。
行基が建てたと泉大橋は木津川が北上する手前あたり。
泉大橋と木津川橋の間を視察中です。 pic.twitter.com/4vkXWTTJj7
— 木津川漁業協同組合 (@kizugawagyokyo) July 21, 2023
奈良博 特別展 「聖地 南山城」を見てきたん。
— すゐしん (@1994_Suishin) July 16, 2023
南山城地域に残る・縁ある多数の宝物や遺物が勢揃い。渡来人創建の古代寺院に始まり神童寺はじめ修験寺院、言わずと知れた浄瑠璃寺九体阿弥陀、泉大橋に始まる行基信仰の展開etc..
物凄いボリュームで脳内整理が追いついておりません..
図録 ¥3000- 也 pic.twitter.com/gwuoZKEeP5
蟹満寺は白鳳時代の創建とされ、本尊は国宝で白鳳仏で、今昔物語に登場します。
【京都・蟹満寺/釈迦如来坐像(白鳳)】像高240.0㎝、重さ2tの金銅製。奈良時代以前の丈六の仏像は、他に飛鳥大仏、興福寺の阿弥陀如来座像のみであることから、非常に貴重な像とみられている。 pic.twitter.com/7U3ZPkqdk2
— 美しい日本の仏像 (@j_butsuzo) October 29, 2022
↓2012年の記事やけどおもしろい。
南山城の仏教文化が栄えたのは奈良時代かと思っていたけど、仏教伝来直後から飛鳥とつながっています
飛鳥寺•川原寺の瓦が高麗寺へ
古代の主要道や木津川の舟運からみた交通の要所にあった高麗寺(こまでら)は飛鳥時代に建立。日本書記や平安時代初期の仏教説話集日本霊異記(薬師寺の僧が書いた)に登場しますが、10世紀に消滅したようです。
高麗寺
— 鈴木SUZUKI 喬Takashi - I wish for world peace- (@farunifa) May 17, 2023
日本霊異記にでてくる寺院。
行ってすぐわかる。木津川河岸段丘にあると。 pic.twitter.com/xJtvoR6r00
6つめ:高麗寺跡
— あんどれ (@andre_sukimono) February 22, 2023
飛鳥寺と同じ型の瓦が出土した、日本最古級の寺院跡。『日本霊異記』に記載のある高麗寺と推定され、一説には6世紀後半に高句麗の使者を饗した相楽の客館の跡地に建てられたのではないか、とか云々。復元された基壇は白鳳時代のもの。 pic.twitter.com/uEvO9eAZWH
日本で最初の仏教寺院とされる飛鳥寺と同じデザインの軒丸瓦が出土したことから、蘇我氏と付き合いがあったと考えられます。
飛鳥寺の瓦のデザインの大半は法隆寺に引き継がれ、さらに大阪の四天王寺に伝わります。
参考に。軒丸瓦 pic.twitter.com/KkuXKVaBhJ
— 開物発事 (@Kai_Hatu) July 14, 2022
少数ですが瓦の一部は高麗寺に引き継がれましたがどの堂宇に使用されたかは不明です。
高麗寺には天智天皇建立と伝わる官寺川原寺と同じ系統の瓦も見つかっています。
★明日香村川原寺★かつては、飛鳥四大寺に数えられるほど大きなお寺であった川原寺は室町時代に焼失・廃寺になったとされ、現在の弘福寺は江戸中期に創建されました。 当時の飛鳥の姿を想像しながらめぐってみてはいかがでしょうか。
— 日本遺産「飛鳥」情報発信 (@asuka_jh) December 14, 2022
#飛鳥 #川原寺 #寺社仏閣 #奈良県明日香村 #日本遺産飛鳥 pic.twitter.com/OhKfoxILPt
高句麗 vs 百済
飛鳥時代、朝鮮半島では高句麗と百済が仏教先進国で、新羅が後進国。仏教を公伝した伝わる百済と高句麗は仲が悪かったため、欽明天皇の時代、高句麗は日本海ルートで石川県に上陸。飛鳥から北陸に抜ける途中が南山城。現代でも拉致被害が北陸海岸で起こることに通じるのが恐ろしい
高句麗から使者が来た際に設けられた滞在先、相楽館(さがらかのむろつみ)が後に高麗寺となったようです。京都府相楽郡という地名の由来。
ふむふむ↓
昨日、近鉄高の原駅からJR木津駅方面へウォーキングしていたら相楽神社があった。地名にも「相楽」とある。当然「そうらく」と思っていたら「さがなか」と読むらしい。木津川市のこの辺りは「さがなか」。精華町、笠置町、和束町、南山城村は相楽郡で「そうらく」だって。
— mari_N_chan (@mariN99663034) January 12, 2020
新しい発見。 pic.twitter.com/c40NOzg5gi
木津川市には上狛(かみこま)と下狛(しもこま)という名前が現在も残り、高麗寺の北側に位置する蟹満寺からも高句麗系の軒丸瓦が出ています。
聖徳太子の仏教の師は595年に来日した高句麗出身の恵慈。
有名な遣隋使の手紙↓を書いたのが恵慈という話を別の講演会で聞いたことがある。
推古15年(607年)7月3日。推古天皇、小野妹子らを隋に遣わす。
— 影山義勝 (@kageyama843) July 3, 2023
小野妹子が、隋皇帝 煬帝へ渡した国書には「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」とあり、煬帝の不興をかったが、隋は高句麗遠征を控えており、倭国とは友好を維持すべきと判断し、翌年裴世清を答礼使として倭国に派遣した。 pic.twitter.com/8mrn3rd3h4
朝鮮半島からみると日出づるところ=日本、日没するところ=中国で感覚的に納得できる。怒らせるのも高句麗の国益を考えたやろうし。
大阪の高麗橋も南山城にあった高麗館(こまのむろつみ)が難波に移って名前が残ったかもとおっしゃっておられました。
一方、百済は和歌山から日本に上陸とさらっと説明されたので、後でチェックしたらたぶん和歌山市
和歌山には巨大古墳群岩橋千塚古墳群があって朝鮮半島由来の品も出土するらしい、なるほど。
播磨(兵庫県西部)からも瓦
高麗寺跡から播磨国府系の瓦も出土します。補修に使用されたようです。
天平時代に播磨隋願寺の僧、宋常が高麗寺に移ったという記録があります。
隋願寺は聖徳太子の命によて高句麗の僧が建立したという伝わる国府直轄の寺です。播磨の国は法隆寺の荘園があるので、寺伝はもっともらしい。
斑鳩寺
— gassyou (@gassyou2) September 19, 2020
兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)
聖徳太子ゆかりのお寺、斑鳩寺をお参りしてきました。
606年に聖徳太子は、法華経を講義しこれに感動された推古天皇より播磨国の水田を賜ったと日本書紀に記されています。太子はこれを仏法興隆のため法隆寺に寄進され、この鵤の地に斑鳩寺が建立されました。 pic.twitter.com/IaT1xwby79
宇治橋
宇治橋は高麗に留学していた僧、道登が646年に建てたと伝わります。
【#京都旅】#宇治橋#宇治川 に架かる #日本三古橋 の一つ
— マッチプロ(matchpro) (@matchpro_movie) October 13, 2021
646年元興寺の道登により橋が架けられ今の橋は1996年に架け替えられた
上流側の張り出しは #三ノ間 といい橋の守護神 #橋姫 がかつて祀られていた名残であり,豊臣秀吉はそこから茶の湯に使う水を汲ませたといわれる#京都観光 #宇治 #平等院 pic.twitter.com/Vhg8lqacnb
道登の出身地は↓あたりと推定される
【正道官衙遺跡】京都府城陽市にある国指定史跡。奈良時代までの複合遺跡で、大型建物が方位を合わせて計画的に配置されていることから、山城国久世郡の郡衙跡であると考えられている。現地は庁屋、副屋や南門は骨組のみ復元され、史跡公園として整備されている。#城陽市 #郡衙 #史跡 #歴史 pic.twitter.com/4lfdkbzDZW
— 古代史つれづれ話 (@azumanndonannto) September 16, 2022
この辺りも高麗系の瓦を使っていたらしい。
仏教行事のニューウェーブ
木津川市の神雄寺(かみおてら)は聖武天皇が造営した恭仁京と東大寺の間に位置します。多量の灯明皿が出土したことから万灯会が行われていたと考えられています。
京都木津川町
— SUN (@rica9919zw) June 11, 2023
神雄寺は
奈良時代の
文献にはないお寺
川に大量の灯明皿が
廃棄されていた
神と寺
山の中腹にあって
川が流れる立地
恭仁京と東大寺の
中間地点
古代信仰の鍵が
ここにある pic.twitter.com/qdB1NXIQLX
唐から伝来したと考えられる横鼓も出土しています。似たような横鼓が正倉院にあるそうです。
聖武天皇の「恭仁京」に謎の寺
— 産経ニュース (@Sankei_news) June 25, 2023
灯明皿や楽器が出土 https://t.co/ksgGjr56y0
🗨️「文献には登場していない寺ですが、少量とはいえ平城宮瓦が使われていることで、神雄寺の造営に聖武天皇ら皇族、または橘諸兄ら有力者が関わっていた可能性はあります」
奈良まほろばソムリエの勉強から遠く離れてしまってます(*^^*)
— 西条美咲 Misaki Saijyo (@misaki_saijyo) December 23, 2022
興味を持ってしまった神雄寺。
平城京と恭仁京の間です。
実家帰った時に、また山崩してるなぁ💦ニュータウンできるのかなと思ってた場所。
遺跡発掘現場だった。
すごくマニアックな本を読んでます✨帰省したら古墳と遺跡行きまくる♥ pic.twitter.com/oesi2rGMuS
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— 京都府広報課 (@KyotoPrefPR) June 8, 2023
歴史好き必見✨文化財講演会
「神雄寺跡出土品と奈良時代の仏教儀礼」開催!
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現在開催中の企画展「#恭仁宮と神雄寺」から、
「#神雄寺」をピックアップ!
✅日程:6/10(土)13:30~
✅場所:#府立山城郷土資料館
✅受付:12:45~整理券配布(先着順)
詳細⏬https://t.co/JrrqheYInm pic.twitter.com/di8m2ZigsW
奈良時代から平安時代に流行した悔過(けか)の法会専用の建物があったのではないかと考えられています。
本尊の候補は観音菩薩、薬師如来、吉祥天。
悔過は日本書記に続く日本の正史続日本紀(797年成立)に登場します。
わが国の悔過(ケカ)法要については、吉祥天悔過が諸国の国分寺で修されたと『続日本紀』に示されている。何故に吉祥天かというと、奈良時代は護国経典として『金光明最勝王経』が盛んに読誦・書写されており、その経中には懺悔滅罪の思想と吉祥天の功徳が説かれているからであろう。→
— 高野山 青巖寺@南山坊 (@nanzanbou) January 4, 2019
東大寺二月堂のお水取りとして現在まで伝えられています。
#お水取り で知られる 奈良 #東大寺 の #修二会 は開始から一度も切れることなく今年は1270回目😮今年は、#コロナ対策 のため、各自二週間隔離後に #練行衆 準備開始(別火) 。#二月堂 内の聴聞は不可。堂前のお松明拝観は今晩まで。明日からはライブ中継など。#河瀬直美 #NHK #ニコニコ動画 #春の訪れ pic.twitter.com/SY8LHXAniz
— Sally_Osaka (@osaka654) March 11, 2021
聖地が泉が湧く、山間にあるというイメージも同じ頃に成立したようです。そのイメージを今日まで伝える浄瑠璃寺。
平安時代には9体の阿弥陀如来像をまつるお堂が多く作られましたが、当時のまま残っているのは、浄瑠璃寺しかないといい、当時、流行した浄土信仰の様子を伝えています。
— 紡ぐ Japan Art & Culture (@art_tsumugu) July 1, 2021
池を中心に西に本堂、東に三重塔、いずれも国宝。庭園は特別名勝です#紡ぐプロジェクト #浄瑠璃寺 pic.twitter.com/LffQbT6Okk
(終わり)