京都国立博物館のイベントで三重県津市にある親鸞ゆかりの寺、専修寺(せんじゅじ)に行きました。
 

 

 

 

親鸞展を担当された上杉研究員が同行して説明付という豪華さ!

 

下野国高田

北陸への流罪を解かれた後(1211年)、親鸞は京都に戻りらず関東方面に。専修寺は、下野国(栃木県)高田にあった親鸞の念仏道場から始まりました(親鸞が建立した唯一の寺)。後に寺を任された弟子の真仏に親鸞が多くの直筆の手紙を送りました。それが現在まで伝わり、現存する自筆の手紙12通のうち7通も専修寺に保存されています。

 

 

真仏は字までそっくり真似て、手紙を書き写しました。ご本人はちゃんと書き写したと署名を入れましたが、切り取られてしまうと真贋判定が難しいらしい。

 

小説親鸞(五木寛之)の挿絵にも登場する真仏。

 

↑京都のzen cafeで購入した絵葉書

 

真仏は親鸞よりも若かったものの、先に生涯を閉じました。50歳ぐらいので、当時では特に短命ではないんやけど… 親鸞の葬儀に立ち会ったのは後を継いだ顕智。彼が持ち帰ったと伝わる親鸞の遺骨が御廟に収められています。お骨を包んだとされる袋も残っていて、親鸞が没した鎌倉時代のものと判明。本物の遺骨である可能性も十分にあるらしい。

 

寺紋は柳と菩提樹です。高田の地で親鸞が「この地で伽藍を立てなさい」というお告げを受けて柳の枝と菩提樹の種を童子から受け取ったという話に因みます。首からかける輪袈裟などに使われています。

御影堂の前に菩提樹と柳が植えてあるんですが…

 

東西両本願寺とは違って公家から住職を迎えています。差別化なんかな。菊の御紋や桐の御紋のほうが目立つところにあるのはそのためかも。

 

1526年に高田の寺が兵火に見舞われたため十代真慧(しんね)が拠点としていた伊勢の寺が本山専修寺となり今日に至っています。それでも、手紙や遺骨が残っているのはすごい!高田の寺も現在、本寺専修寺として復興しています。

 

国宝建築 御影堂•如来堂

2017年に国宝指定されました(wikiでは重要文化財のまま)。木造建造物の国宝として三重県で最初らしい。

 

 

お寺のサイトにあるデジタルブックはご本尊のお顔までよく見えます。

 

二つの建物を繋ぐ廊下は重要文化財。

 

どちらも江戸時代に再建された建物です。京都にある東西両本願寺の門は東向きですが、こちらは南向き。創建当時は今よりも伊勢湾が東に迫っていて、海風が強かったようです。

 
こうやって改めてグーグルマップでみると伊勢神宮と京都の位置関係を考えて、火事にあったとはいえ栃木から引っ越してきた決断もすごいし、現在の境内地を提供した津藩も交通や情報の流れとかよく考えているやん。徳川家康豊臣秀吉から庇護を受けているところからも政治力の高っ!
 

じっくりと外から見たかったのですが、猛暑のため室内中心のツアーとなり、御影堂を正面から撮影はなし😿最高の格式といわれる門は遠目に見ただけでした。

 

御影堂

全国の国宝木造建築の中でも五番目の大きさ。1679年に落慶されました。和様と呼ばれるシンプルな建築スタイル。

 

金と極彩色で飾られた宮殿(くうでん)の中に親鸞像が祀られています。お供えする花は松一本と決まっています。

 

如来堂

大きさは御影堂よりも小さいのですが、屋根に裳階(もこし)をつけているので見かけは2階建。屋根の下に詰物(四手先!)をぎっしりと入れる禅宗様の建物です。

 

柱の間隔が広いのが建物の特徴です。瓦の固定するのに土を使わない空葺(からぶき)という方法が取り入れられたために屋根が軽かったようです。扉は元は朱塗りでしたががこれは現在のイメージとかなり違うのでそのままに。

 

 

本尊の阿弥陀如来は比叡山から真慧に伝わったとされる「証拠の如来」と呼ばれます。梵字の話が出ていましたが、光背だったかなぁ。真宗の寺にはふつう梵字はないらしい。比叡山の末寺になっていた時期もあるのでもっともらしい話。本願寺は拡大路線の蓮如の時代で比叡山とはガチぶつかっていました。

 

 

比叡山から伝わったとされる引声(いんじょう)念仏、声明、もあります。琴、笙、太鼓など雅楽器が欄間に彫刻されています。

 

読み方が違うけど比叡山の円仁が中国から伝えたとあります↓

 

明治天皇

明治天皇から親鸞に送られた大師号「見真」が御影堂に掲げられています。

 

オリジナルの宸筆を宝物館、燈炬殿(とうこでん)で拝見。リニューアルオープンしたばかりです。

 

明治天皇夫妻が1880年に行幸された際に使われた椅子も燈炬殿で拝見しました。その際にご宿泊になった賜春館(重要文化財)も見せていただきました。

 

1880年、明治天皇は京都の西本願寺にも行幸しているので、バランス感覚なのか、建物などの規模がよかったのかはわかりません。

 

有栖川宮熾仁(たるひと)親王の書

 

熾仁親王といえば、幕末から明治維新の活躍が知られますが、歌道、書道が家学とされだけあってさすがカッコイイ。

 

名号本尊

平安時代末期に末法思想が流行し、比叡山の源信往生要集で観想=イメージトレーニング主体の念仏の重要性が説き、日本の浄土経の基礎となりました。法然は源信が重要視しなかった称名念仏、「南無阿弥陀仏」の重要性を説きました。

 

親鸞は名号本尊を作成し、真宗の寺では一般的です。

 

さりぃは「これって言霊思想ですか?」と上杉研究員に質問させていただきました。

寺の建立や仏像の造像に同等の功徳を念仏を唱えるによって積むことができるという思想を表したものと説明していただきました。これは日本だけの思想。ふーん、コンセプチュアルアートみたいや。称名念仏を広めたのは親鸞の師、法然。念仏が広く受け入れられた背景には簡単だからというだけではなく、言霊思想があったであろうとのことです。

 

真宗のお寺の建物が大人数を収容して、極楽予告編をそこで見せるという役割がある立派な建物。そこに置かれたシンプルな名号本尊は念仏だけでも極楽に行けるコスパの良さ(失礼💦)も表しているのかも。

 

その他

御対面所(重要文化財)も拝見させていただきました。武者隠しがあって現在でも旧正月に法主と対面があるようです。

 

極楽に咲く花、蓮の花。真宗のお寺は池というよりも闘うから外濠やな。

 

専修寺の周辺も環濠集落であった名残がよく残されているそうです。

 

燈炬殿のVRシアターでも360度の蓮の花。猛暑日だったからクーラーがよく効いた場所は極楽でした。

 

パッケージがかわいいお線香。

 

全く話題には出なかったけど映画のロケ地。

 

(おわり)