親鸞展を担当された上杉研究員が同行して説明付という豪華さ!
【虎ブログ更新!】
— 京都国立博物館 (@KyotoNatMuseum) April 9, 2023
『教行信証』や親鸞直筆の手紙など、#親鸞展 の展示作品を、上杉研究員と羽田研究員がトラりんに紹介しています。
親鸞聖人生誕850年特別展「親鸞─生涯と名宝」を見に行くリン♪Part1https://t.co/8FmKuiGI7y pic.twitter.com/iTKLHx6GHc
下野国高田
北陸への流罪を解かれた後(1211年)、親鸞は京都に戻りらず関東方面に。専修寺は、下野国(栃木県)高田にあった親鸞の念仏道場から始まりました(親鸞が建立した唯一の寺)。後に寺を任された弟子の真仏に親鸞が多くの直筆の手紙を送りました。それが現在まで伝わり、現存する自筆の手紙12通のうち7通も専修寺に保存されています。
親鸞聖人の主著は『教行信証』。浄土真宗の原点。今回の京都国立博物館の特別展「親鸞」では鎌倉時代に書写された三本が初めて一堂に会している。親鸞自筆の坂東本(東本願寺蔵)、親鸞の弟子である真仏が書写した高田本(専修寺蔵)、書写者不明の西本願寺本(西本願寺蔵)。親鸞の凄みはここにある。 https://t.co/YrukQaEsJw
— 龍谷ミュージアム元館長のつぶやき (@tirisawa) April 18, 2023
真仏は字までそっくり真似て、手紙を書き写しました。ご本人はちゃんと書き写したと署名を入れましたが、切り取られてしまうと真贋判定が難しいらしい。
小説親鸞(五木寛之)の挿絵にも登場する真仏。
↑京都のzen cafeで購入した絵葉書
真仏は親鸞よりも若かったものの、先に生涯を閉じました。50歳ぐらいので、当時では特に短命ではないんやけど… 親鸞の葬儀に立ち会ったのは後を継いだ顕智。彼が持ち帰ったと伝わる親鸞の遺骨が御廟に収められています。お骨を包んだとされる袋も残っていて、親鸞が没した鎌倉時代のものと判明。本物の遺骨である可能性も十分にあるらしい。
寺紋は柳と菩提樹です。高田の地で親鸞が「この地で伽藍を立てなさい」というお告げを受けて柳の枝と菩提樹の種を童子から受け取ったという話に因みます。首からかける輪袈裟などに使われています。
御影堂の前に菩提樹と柳が植えてあるんですが…
東西両本願寺とは違って公家から住職を迎えています。差別化なんかな。菊の御紋や桐の御紋のほうが目立つところにあるのはそのためかも。
1526年に高田の寺が兵火に見舞われたため十代真慧(しんね)が拠点としていた伊勢の寺が本山専修寺となり今日に至っています。それでも、手紙や遺骨が残っているのはすごい!高田の寺も現在、本寺専修寺として復興しています。
専修寺は真宗高田派の本山。
— murphy (@murphy55183175) December 28, 2019
親鸞が関東地方を教化した際に、建立した道場を起源とし弟子の真仏が管理し教勢が拡がり、後に東海地方の教化に高田派第10世が伊勢地区の中心寺院として建立。
関東の本寺が焼失にあうなどし、伊勢の専修寺に本山機能が移ることとなった。
そうである。
国宝建築 御影堂•如来堂
2017年に国宝指定されました(wikiでは重要文化財のまま)。木造建造物の国宝として三重県で最初らしい。
専修寺 せんじゅじ①
— 歴子🦊 (@rekiko2021) March 7, 2021
津市一身田町
真宗高田派本山
⭐本尊
「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来
本山専修寺、一身田専修寺と呼ばれる
親鸞の肖像はじめ直弟子などの書写聖教など貴重な収蔵品を多数保持
浄土真宗最大宗派の東西本願寺に匹敵する広大な境内を持つ
①如来堂
②唐門
③御影堂
④山門 pic.twitter.com/0cK0zr2mMH
お寺のサイトにあるデジタルブックはご本尊のお顔までよく見えます。
二つの建物を繋ぐ廊下は重要文化財。
じっくりと外から見たかったのですが、猛暑のため室内中心のツアーとなり、御影堂を正面から撮影はなし😿最高の格式といわれる門は遠目に見ただけでした。
御影堂
全国の国宝木造建築の中でも五番目の大きさ。1679年に落慶されました。和様と呼ばれるシンプルな建築スタイル。
金と極彩色で飾られた宮殿(くうでん)の中に親鸞像が祀られています。お供えする花は松一本と決まっています。
如来堂
大きさは御影堂よりも小さいのですが、屋根に裳階(もこし)をつけているので見かけは2階建。屋根の下に詰物(四手先!)をぎっしりと入れる禅宗様の建物です。
柱の間隔が広いのが建物の特徴です。瓦の固定するのに土を使わない空葺(からぶき)という方法が取り入れられたために屋根が軽かったようです。扉は元は朱塗りでしたががこれは現在のイメージとかなり違うのでそのままに。
本尊の阿弥陀如来は比叡山から真慧に伝わったとされる「証拠の如来」と呼ばれます。梵字の話が出ていましたが、光背だったかなぁ。真宗の寺にはふつう梵字はないらしい。比叡山の末寺になっていた時期もあるのでもっともらしい話。本願寺は拡大路線の蓮如の時代で比叡山とはガチぶつかっていました。
比叡山から伝わったとされる引声(いんじょう)念仏、声明、もあります。琴、笙、太鼓など雅楽器が欄間に彫刻されています。
読み方が違うけど比叡山の円仁が中国から伝えたとあります↓
明治天皇
明治天皇から親鸞に送られた大師号「見真」が御影堂に掲げられています。
オリジナルの宸筆を宝物館、燈炬殿(とうこでん)で拝見。リニューアルオープンしたばかりです。
真宗高田派本山専修寺で営まれている親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年・真慧上人と聖徳太子の遠忌を併せた「奉讃法会」は本日が最終日。新築された燈炬殿で体感できる「VR極楽浄土」は圧巻でした、すごい…11時からの聖徳太子1400年忌法要はYouTubeで生中継されます。https://t.co/BgupDlMG48 pic.twitter.com/z1FJZ9Iv1p
— 仏教タイムス (@bukkyotimes) May 28, 2023
明治天皇夫妻が1880年に行幸された際に使われた椅子も燈炬殿で拝見しました。その際にご宿泊になった賜春館(重要文化財)も見せていただきました。
1880年、明治天皇は京都の西本願寺にも行幸しているので、バランス感覚なのか、建物などの規模がよかったのかはわかりません。
↓有栖川宮熾仁(たるひと)親王の書
熾仁親王といえば、幕末から明治維新の活躍が知られますが、歌道、書道が家学とされだけあってさすがカッコイイ。
名号本尊
平安時代末期に末法思想が流行し、比叡山の源信が往生要集で観想=イメージトレーニング主体の念仏の重要性が説き、日本の浄土経の基礎となりました。法然は源信が重要視しなかった称名念仏、「南無阿弥陀仏」の重要性を説きました。
【#親鸞展 見どころ】
— 京都国立博物館 (@KyotoNatMuseum) May 16, 2023
第7章では「親鸞の伝えるもの」として、親鸞みずから筆を執った「名号」を親鸞の肖像とともに展示します。1~2週間毎に展示替のあった本章、最終週は「名号本尊(八字名号)」(三重・専修寺蔵)と「国宝 親鸞聖人影像(安城御影)」(京都・西本願寺蔵)をご覧いただけます。 pic.twitter.com/C7SfrP0IAF
親鸞は名号本尊を作成し、真宗の寺では一般的です。
さりぃは「これって言霊思想ですか?」と上杉研究員に質問させていただきました。
寺の建立や仏像の造像に同等の功徳を念仏を唱えるによって積むことができるという思想を表したものと説明していただきました。これは日本だけの思想。ふーん、コンセプチュアルアートみたいや。称名念仏を広めたのは親鸞の師、法然。念仏が広く受け入れられた背景には簡単だからというだけではなく、言霊思想があったであろうとのことです。
真宗のお寺の建物が大人数を収容して、極楽予告編をそこで見せるという役割がある立派な建物。そこに置かれたシンプルな名号本尊は念仏だけでも極楽に行けるコスパの良さ(失礼💦)も表しているのかも。
その他
御対面所(重要文化財)も拝見させていただきました。武者隠しがあって現在でも旧正月に法主と対面があるようです。
極楽に咲く花、蓮の花。真宗のお寺は池というよりも闘うから外濠やな。
専修寺の周辺も環濠集落であった名残がよく残されているそうです。
高田本山専修寺は「環濠集落」とよばれる堀で囲まれた町の中にある。
— s.u (@tabijikan_su) November 30, 2019
今では溝のように細くなってしまっているが、まだその痕跡が残っている。 pic.twitter.com/UflSE8J1W9
燈炬殿のVRシアターでも360度の蓮の花。猛暑日だったからクーラーがよく効いた場所は極楽でした。
パッケージがかわいいお線香。
全く話題には出なかったけど映画のロケ地。
#レジェバタ制作記📜
— 映画『レジェンド&バタフライ』公式 (@lb_toei70th) December 13, 2022
𝟐𝟎𝟐𝟏.𝟏𝟐.𝟏𝟑
大規模なロケーションは #三重県 でも🚐
国宝を有する専修寺!!
信長の弟、織田有楽斎(長益)と
千利休の長男 道安との合作である安楽庵にて、
本作が初めて撮影を敢行🎬
素敵な場所でドラマチックなシーンを撮影させていただきました‼︎#レジェバタ pic.twitter.com/tsfItDnko9
(おわり)