ちとせならのツアーの続きです。

 

隔夜寺から春日大社奥の院道を散策。涼しい!上の禰宜道は神官の通勤路。

 

紀伊神社

 

和歌山県に木をもたらしたといわれ傍にナギの木(一円玉に使われている)があります。ナギの木は海岸線に自生する熊野権現の象徴で、奈良には自生していないから、献上されたんやろ。鹿が食べないのでサバイバルしたらしい。

 

 

奥の院型石灯籠というタイプの石灯籠のオリジナル。

 

江戸時代にその美しさで選ばれた7基の石灯籠の一つ。

 

金龍神社は打倒鎌倉幕府を目指す後醍醐天皇がお忍びで訪れて唐伝来の鏡を奉納したところ。現在、鏡は国宝館にありますが、写真がみつからへん。

 

 

台風による倒木、迫力のある見た目です。若芽が芽吹き、生命の交替。

 

👆新薬師寺の香薬師堂で見たお地蔵さんが泣いていたのはこの辺りと説明いただきました。

 

 

日本で初めて…

・巫女

春日大社若宮社(1041年創建)は日本で初めて巫女が常駐した神社。それまでは行事の時にだけ登場。

 

 

例えば、伊勢の斎王が伊勢神宮に赴くのは年三回だけ。

 

日本最古の個人祈願所でもあったらしい。それまでは伊勢神宮と同様、私幣禁断、個人のお願いは受け付けません、でした。

 

・燈篭

本殿と若宮様をつなぐ御間道(おあいみち)、に燈篭が並んだのも春日大社が初めて。これが全国に広がりました。

 

灯籠が並んだのは若宮社の建立がきっかけ。

 

若宮様って本殿に祀られる神様の子供。新たに生まれた神様を両親と共に祀る神社は他にあるんやろうか?

 

往時、燈篭は漆塗りだっと、桃山時代の宣教師ルイス•フロイスが書き残しています。

 

一基だけ、漆塗りの燈篭があります。

 

小西工芸ってバブル崩壊を当てたデービッド•アトキンソン氏が社長をしてる会社やん。

 

燈篭色々

紀州徳川家からの寄進

 

「これがJALのロゴの元でしょ」という燈篭

 

春日大明神」と彫ってあるものは約3000基のうち、15基だけらしいびっくり

 

 

江戸時代は10両で、武士だけではなく町人も寄進しました。この時は火を灯すための油料を毎年納めていたので、維持費もかかりました。羽振りの良かった当時の産業を伺うことができます。

 

現在の価格は一本250万円だそう。

 

今年は4年ぶりの通常開催になる中元万燈籠↓

 

国宝館

ツアーの解散は国宝館前。

重要文化財になった燈篭は中に飾られていて、外にはレプリカがあります。

↑は平安時代のもので完全なものがこれだけなので重要文化財

 

↓春日大社の銘がある最古のもので重要文化財

 

手前の石塔の説明。

 

涼むのも兼ねて展示を見ました。

 

国宝館は一部、写真OKです。

 

巨大な太鼓

 

現在の展示

 

創建の謎

春日大社は実は謎が多い。榎本神社↓が地主神と言われます。

 

 

藤原氏の氏寺興福寺のほうが前身寺院までわかっているんやけど。

 

もしかしたら平安遷都ぐらいまで、春日大社の社殿はなく、古くからの神地として神事が行われていたのかも。少なくとも阿倍野仲麻呂達遣唐使の航海の安全祈祷(717年?)が春日山で行われたときは藤原氏の勢力範囲として認識されていなかったようです。

 

・もともと神社には社殿はなく、祭祀の時だけ臨時の仮の建物が建てられた。

・平安時代に神仏習合が始まると、寺の影響も受けた。

・摂関家として藤原氏が平安時代に権力を握った

・神社に社殿を建てるためには財力が必要

 

万葉集には奈良の鹿は登場します。東大寺山堺四至図(現存する最古の奈良の地図、756年)にも鹿がいるけど、大社の社殿は描かれていない。

 

 

この頃は南大門ではなく平城京とつながる西門、現在の転害門が主たる門。

 

3月堂などの東大寺の建物は他にも描かれているので、春日山にいたのは藤原氏の神様じゃなくて普通の鹿が最初?

 

841年、仁明天皇の時代に春日原生林が勅命によって狩猟と伐採が禁止されています。現在の春日大社の確実なルーツがここらへんだったりして。

 

 

仁明天皇時代、実務を担ったのは藤原良房

 

仁明天皇の皇后は良房の妹、藤原順子(今でもこういう名前ありやわ)。

 

827年に後の文武天皇を生んでいます。仁明天皇の両親は嵯峨天皇(桓武天皇が父檀林皇后(橘氏)なのでここらが権力のターニングポイントかも。

 

 

 

(おわり)