小学生にも馴染みがあって漢字で書ける子も多いやろう聖武天皇。
25年の治世は長く、その間に天皇制と律令制の曲がり角があり、晩年のハイライトはもちろん大仏開眼。
聖武天皇が成人するまで、元明天皇(文武天皇の母、草壁皇子未亡人)と元正天皇母娘で繋ぎました。平安時代なら、幼帝にして上皇が実権を握った可能性が高いらしい。
藤原氏の台頭
当時、中継ぎの天皇になる可能がある皇后は皇族からと決まっていました。推古天皇あたりからの伝統なんかな。教科書にも登場する光明皇后は藤原家、つまり「民間」出身で、729年に立后。これが皇室制度の曲がり角。
光明皇后が生んだ男子が夭折したために、天武天皇の孫で政治的手腕のあった長屋王の息子達は皇位継承者としてスポットライトが当たりました。聖武天皇の母も藤原氏で民間、長屋王の母は天智天皇の皇女なので長屋王のほうが血筋は格上。長屋王は光明皇后の立后にも反対しました。
これが仇になって皇后の兄弟である藤原四兄弟に抹殺されたのが長屋王の変。
今日(2/12)は長屋王の命日。神亀6(729)年、享年46か54。
— 山村純也|らくたび代表 (@yamamura_junya) February 11, 2023
皇族の政治家として左大臣にまで出世したが、藤原四兄弟の策略により、自害に追い込まれた。
多くの木簡の出土によって、邸宅が当時の百貨店そごうの建設地と確定し、現在はミ・ナーラの前に説明板、敷地内にも祠が設置されている。 pic.twitter.com/EcTbgYCaVc
多量の木簡が出た長屋王の巨大な邸宅跡。
現在はミ・ナーラ
長屋王邸宅のあった、奈良のそごうの跡地、新店舗入るたびに長屋王の呪いの話題になるのね。ちなみに長屋王の変の後、事件の現場になった長屋王邸に最初に入居したのは、事件の黒幕説のある光明皇后だから、あんまり気にしなくても良いと思いますよ。
— りおん (@Rionn_unosarara) 2018年4月25日
王寺町の講座で、「天皇と皇后は同じ年で、仲良しカップルでした」と説明があったんやけど、意味深かも。
西山厚先生をお迎えした王寺町歴史プレミアムサロン。1回目の今日はマイクロバスで明神山に登れてプレミアム。先生の講話をたーくさん聞けてプレミアム。奈良の歴史が点から線、つながって学べました。私もめっちゃ楽しかったです。2回目からの参加はまだ間に合いますよ。https://t.co/6nQ2Z0degB pic.twitter.com/CRoDwIAWaS
— Eisho Okajima (@EOkaji10) September 15, 2022
程なく、遣唐使の帰国と共にもたらされた天然痘で藤原四兄弟が亡くなりました
興味深い。 pic.twitter.com/IG0ZyXslgG
— F. Sakamoto,MPH,CIC 🌻🇺🇦坂本史衣 (@SakamotoFumie) February 20, 2023
公卿もかなり亡くなっています。
最近、毒殺説が出て来ました。四人一度は都合がよすぎるから、全員でないにしろ毒殺は十分ありでしょう。
284.毒が変えた天平時代 藤原氏とかぐや姫の謎/船山信次/原書房.2021.4.30
— 八仙花@読書垢 (@Reading_relax) November 4, 2021
藤原四兄弟の死について、言われてみれば同時に亡くなっていることの違和感を覚えた。その他にも普段気にとめないところに毒殺があるのだろう。かぐや姫と結びつける論はやや強引に感じた。#読了 pic.twitter.com/cYrhFK3SJ3
遣唐使がら持って帰った使い勝手のよい毒は正倉院に現存する治葛(やかつ)と呼ばれる薬です。
思い出したから毒の話でも。東南アジアにゲルセミウム・エレガンスという木が分布しているのだが、世界最強の植物毒と言われるくらいの猛毒。面白いのは正倉院に「治葛」(やかつ)という名前で保管されていることと、記録によればかなり使用された形跡があるということ。誰が何の目的で使ったのだろうか pic.twitter.com/2ZCppgt7MZ
— スザク (@sakashima2) June 28, 2022
フランス貴族が大量虐殺された宗教戦争、サン·バルテルミの虐殺、天平版かもしれません。
吉備真備と玄昉の帰国は735年、御物は聖武天皇が遺愛の品コレクションなので、756年以降に形成されました。20年間、毒がどのように使用されたかは藪の中
平城京との天皇とは血統が違う桓武天皇は毒殺を避けるために、平安遷都して、寺を中に入れなかったのかしらとさりぃは思っています。
藤原宮子
天皇の母は文武天皇の夫人(皇后、妃につぐ律令制で定められた地位)。系図では皇后の腹違いの姉ですが、海女の娘という言い伝えもあります。
伝承に基づいたご当地キャラ↓
みーやちゃんが宮子姫の時代、天平の衣装を用意してくれたんよー😁✨✨
— 和っフル娘。 有田乃みかん🍊 (@waffrumusume) June 26, 2022
(じゃばらは飛び入り参加なので衣装は無し)
平安時代の十二単なんかも素敵やけど、天平時代の天女みたいな衣装も素敵よね😆👍️❤️#和歌山県 #なんて素敵な和歌山なんでしょう #御坊市 #北吉田蓮の郷 #天平装束 #宮子姫 pic.twitter.com/6iGX8pV4LV
たぶん養女というのは本当で、この手の抜け道があればこそなんとか成り立つ近親婚の繰り返し。
天皇を産んだ後、宮子は心の病ということで幽閉され、天皇は37歳になって初めて彼女と対面。この時、唐から帰国した僧玄昉が病気を治癒したと伝えられます。藤原4兄弟が亡くなった直後やけど、玄昉が犯罪ドラマならプライムサスペクト。もちろん、頼まれたんやろけどね…
帰国が叶わなかった阿倍野仲麻呂
遣唐使の歓送会(宴)はみかさ山の山麓で行われました。命の危険もある旅なので、さぞエモかったやろ。
吉備真備や玄昉と同じ時に阿倍野仲麻呂も出発しましたが、帰国は叶わず玄宗皇帝の元で活躍。
天の原ふりさけ見れば春日なる
— 毎日百人一首くん (@TomoProgBot) February 21, 2023
三笠の山に出でし月かも
阿倍仲麻呂 pic.twitter.com/wgqdQWR75O
百人一首でよく知られている歌は御蓋山のほうです。
↓こんな元祖マンガ的な絵巻が現存しているんや。
/
— ボストン美術館展 芸術×力 (@boston_2022) August 26, 2022
プチ情報🗣
\
《吉備大臣入唐絵巻》は実在した #遣唐使 、#吉備真備 と #阿倍仲麻呂 をモデルにした #ファンタジー のようなおもしろ作品🤩‼️
全4巻のうちの第3巻では、吉備真備と阿倍仲麻呂が「#飛行自在の術」を使って正座で空を飛んでいます😂
この続きはぜひ会場で👍🏻#ボストン美術館展 pic.twitter.com/OedsQmRllO
現在は春日山原始林として世界遺産。こちらは王寺町観光協会のツアーで奈良市埋蔵文化財調査センター元所長の森下恵造先生のツアーで学びました。
(続く)