京都京セラ美術館で(来年の2月12日迄)開催中のアンディ・ウォーホール展に。

 

 

 

 

彼の2度の来日について知りたかったんやけど博物館以外にも展示があるので、稿を改めます。

 

 

京都で初めての個展らしい。

 

生存(1972年)は大丸百貨店で個展がありました。

 

疑問

現在は肖像権などあるから同じような作品はもう簡単には作れへんのかな?セレブ達も、アンディの作品の一部になることを望んで、肖像画を注文しているので、相互便乗というのが適切な表現なんかな。

 

ピッツバーグ

両親はスロバキアからの移民でピッツバーグに住んでいました。1928年生まれで、すぐに1929年末の世界大恐慌ガーン生活は苦しかったやろうこら、キャンベルスープで命を繋いだという話はほんまでもおかしくない。

 

 

華麗なるギャッピーは大恐慌の前の1922年の設定。

 

ギャング映画🎦は恐慌中。

 

今回の作品はピッツバーグにあるアンディ・ウォーホール美術館から

 

ウォーホールは性的マイノリティ、アシスタントを使って工業製品的に作品を量産、と伝わります。どちらも身体強健ではないけど生き抜くためという感じがするんやけど。

 

ウォーホールは色素が欠乏する先天的な病気を持っていて、髪を黒く染め、白い髪のカツラを被っていたらしい(展示品の中にあった)。箸でてんぷらか何かを食べているけど、これもカツラ。

 

ニューヨーク

父を失うもカーネギーメロン大学で美術を学び、卒業後はニューヨークに。マリリン・モンローのシルクスクリーンの作品は彼女の1962年の死の直後から発表。

 

ブレークしてからは、自分については徹底的に何も語らず、亡くなった時も年齢が不明びっくり多くの記録を残していて、現在も研究中。

 

展示には、ヘリウム風船と戯れるという楽しい場面も。

 

ウォーホールのファクトリーと呼ばれたサロンは誰でも出入りできたみたい。

 

前衛的な映像作品やバンドのプロデュースも。

 

ウォーホールに憧れていたデビットボウイも出入りしていて、影響は素人目にも明らか。

 

ウォーホールは1968年に顔見知りのフェミニストに撃たれて瀕死の重症を負いましたびっくりこれ ジョンアービングの小説「ガープの世界」(1978年)の主人がフェミニストに撃たれて死亡するところは似てると思うねんけど。ただ、この手の暴力的な事件が60年台には多発をしたようです。

 

信仰と遺作

両親と同じようにカトリック教徒で、人知れず教会の礼拝に通っていたらしい。エイズが流行し始めた1987年、病院で手術の予後管理の失敗で急死。「最後の晩餐」が遺作となりました。

 

 

ウォーホールのA面は大量消費、セレブなんやけど、B面は死の影。覇権国として物質的な豊かさを謳歌する反面、ベトナム戦争、ケネディ大統領やキング牧師の暗殺、そしてドラッグ…という米国の50年代から60年代と共鳴したアーティストと思えます。

 

グッズ

今回の展覧会はグッズが充実

 

 

 

現在でも作品は高額取引されています。

 

鳥取県も作品を購入して話題に。

 

(終わり)