続きです。 

発掘品

大安寺の境内には5世紀築造の前方後円墳杉山古墳がありました(家形埴輪、展示No.9)。全長約150メートルで、一部を削って瓦を焼く窯にリユース(瓦の破片、展示No.47)ガーン

 

 

陶枕

唐三彩で、実は用途不明

 

出土した場所が金堂付近で、デザインサンプルとして保管?といわれてます。

唐三彩を真似た奈良三彩の陶器の破片(No.31)も展示。

 

古代もコピー文化

 

七重の塔などの飾りとされた風鐸、巨大風鈴、の破片も。往時の寺は風が吹くとかなりの音量だったようです。

 

 

↓「大」の左横に風鐸の写真

 

仏像

 

菩薩像はカヤの一本づくりで平安仏への過渡期に位置づけられ、資材帳(No.12, 重要文化財)作成よりも後。

 

後半15分ぐらい仏像の解説◎↓

 

十一面観音は360度展示だったので、後ろの御顔を拝見できた筈やけど前期展示ショボーン

 

 

出展中の五体の観音立像(展示No.17-20,いずれも重要文化財)は、手などが後補で、本来の尊格は不明。細かい胸飾りと足元のサンダル状のもの(ストラップに相当する部分が失われた?)が共通。

 

四天王

寺に伝わる奈良時代の四天王(展示No.21、重要文化財)は平安時代初期の木芯乾漆像。サバイバー像の寄せ集めでオリジナルメンバーではないらしい。興福寺北円堂にある四天王(限定公開)はもとは大安寺にあって、鎌倉時代製作のその模刻(展示No.116,117)も展示。

 

宝誌和尚

パカッ!

と音が聞こえてきそうな宝誌和尚(ほうしわじょう)立像(No.90、重要文化財)もびっくりもともと大安寺金堂に安置。360度展示で背中はあっさり。

 

中国南北朝時代(5世紀頃)に実在した神通力で知られるスーパー和尚。自分で顔を裂くと十一面観音の顔があられた姿を現した平安時代の像(宇治拾遺物語)

 

古代のトキワ荘

奈良時代、寺には多くの高僧が集いました。

 

義淵

法相宗の僧で、岡寺の開祖で、弟子が行基と良弁びっくり全員、百済系らしい。

 

国宝の義淵像が展示(No.69)。肖像ではなく賓頭盧(びんずる)さん、お釈迦様の弟子を表すという説も。

 

 

道慈

寺の平城京移転に尽力し、唐枕コレクションを唐から持って帰ってきたといわれてます。

 

四聖御影

 

東大寺の四聖(ししょう)、聖武天皇、行基、菩提僊那、良弁は全て寺ゆかり(展示No.73,重要文化財)。

 

行基:大仏造営費の勧進(かんじん)​​​​​​って、今なら巨額クラファン係

 

近鉄奈良駅前の行基像

 

良弁:東大寺の開基で初代別当

 

菩提僊那(ぼだいぜんな):インドから帰化し大安寺に居住し、東大寺大仏開眼供養(かいげんくよう)の導師、今ならテープカットで真ん中にいる偉いさん

 

仏哲:菩提僊那の弟子でベトナム人、大仏開眼供養では雅楽の師、今ならオケの指揮者

 

早良親王

平安京遷都の際に暗殺の嫌疑をかけられた親王も大安寺にお住まい。

 

空海

空海は大安寺でスーパー記憶術求聞持法(ぐもんじほう)を勤操(ごんぞう)から体得後に入唐。

 

無量の智恵を備える虚空蔵菩薩(胎蔵界曼荼羅の中心を念じながら古代のチーズ、を作って食べるから実はサイエンティフィック

 

行教

清和天皇即位の際に、宇佐神宮の神様を勧請して大安寺経由で石清水八幡宮を建立。

 

 

 

中世以降

寺勢が衰え、興福寺と叡尊が復興した西大寺の傘下に置かれます。鎌倉から南北朝時代につくられた舎利容器(No.108、国宝)が非常に繊細な細工で美しい!現所蔵は西大寺。

 

吐田座 (はんだざ)など絵所(えどころ)も中世に寺に置かれたらしい。

 

(終わり)