河内長野市まで、酒蔵見学・試飲に行きました。

 

駅前やけどちょっとわかりにくい観光協会に立ち寄って、酒蔵までの道を教えていただきました。協会は蔵へのいい目印ニコニコ

 

河内長野は高野街道の中継点として平安時代から栄えたようです。弘法大使空海も歩いた筈?

 

途中の長野神社近辺の楠が立派です。

 

天野酒で知られる西條酒造の旧家屋は文化財に指定。

 

旧家屋と現家屋の間の道は酒蔵通りと呼ばれています

 

 

天野酒の歴史

日本酒の製造技術は室町時代末期に飛躍的に高くなりました。当時、お酒は僧房酒といわれ寺院で作られていました。

 

古来の神事にお酒は欠かせないので、日本酒の発祥は三輪神社ともいわれています。

 

 

神仏習合してお寺に技術移管なんかな。不飲酒戒(ふおんじゅかい)は横に置いてということやね。

 

天野山金剛寺行基開祖を謳う古刹)の酒は現在の吟醸酒の先駆けで、評判の美酒。

 

高野山は女人禁制でしたが、女人高野として金剛寺は賑い、宿坊で天野酒が供されました。

 

豊臣秀吉は金剛寺に朱印状を発行し酒造りに専念するように命じ、醍醐の花見(1598年)でも振る舞い酒としました。

 

フランス🇫🇷の修道院でワイン🍾作っていたのと似てるわ。

 

西條酒造

江戸時代には僧房酒の流れをくんだ酒蔵が河内長野に誕生し、西條酒造もそのうちの一つ。創業は享保年間の1718年。

 

天野酒の文献を見つけた灘の清酒メーカーから金剛寺に復刻の打診がありました。寺が地元の蔵に聞いてみますと返事をして、西條酒造に声をかけたことから1971年から復刻酒の生産を開始。

 

日本一甘いがキャッチコピーの復刻酒。味醂入りのお屠蘇みたいな味かな。

 

 

お酒造りの担い手は岩手県からの南部杜氏(なんぶとじ)で彼らの本業は農家。

 

さりぃは、南部杜氏なんぞやと半年ぐらい疑問に思っていましたが、南部杜氏の作るお酒は淡麗

関西伝統の丹波杜氏ですが、丹波名物は松茸イノシシなど日本料理としては例外的に味がしっかりめ。こういう食材に合わせる酒は日常的な食事に合うお酒にはなりにくいそうです。ワインでいえば、どっしり重い高級赤ワインやろか。

 

 

大阪の蔵で南部杜氏を始めて採用したのが西條酒造。差別化が成功して、売り上げが伸び、南大阪を代表する蔵に。

 

 

北大阪を代表する蔵として初めて吟醸酒という名前を使った呉春(池田市)を挙げておられました。そういえば、さりぃの父は呉春好きやったわ。呉春=お酒🍶と最近まで思っていましたが、画家の名前ですてへぺろ

 

お米は北陸の五百万石と兵庫と徳島の山田錦

 

河内長野市のふるさと納税の返礼品に天野酒があります。

温度が一定で微細な潮流があるダムで熟成させた天野酒。

 

 

見学と試飲

この瓶は超貴重です、割らないでくださいという注意がありました。

 

プラスチックのパイプの中を原料のお米が通ります。

 

フツフツと発酵の音がする

本醸造タンクの中です。

 

いい香り爆笑

 

もしも携帯電話を落としても醸造が終わるまで拾うことはできません、と最初に注意がありました。

 

お酒のアテに試食ということで大阪湾で養殖された牡蠣のつくだ煮も。牡蠣付きの日を目当てに行きました。激ウマでしたが非売品😢

 

お土産は火入れしていないお酒なので、冷蔵庫で開けたら早めにということでした。

 

飲みやすいお酒です。酒粕キャンデーもおいしい。

 

見学はここから申し込みしました。

 

(終わり)