さて、続きです。

法華総持院東塔

 

最澄は国家鎮護のために日本全国の聖地六か所に宝塔を建立し、東塔(とうどう)はそれらの総塔でした。

 

 

鎌倉時代の絵図を手掛かりに1980年に再現されたました(他の塔は現存しません)。上部には法華経仏舎利が納められています。

 

パンフによると…

法華=釈迦の教え すべての人が仏に成れる 法華経が根本経典

総持=密教の教え

円密一致=天台の法華円教と密教の融合

 

円密一致という言葉、さりぃは初めて聞きました(-_-;)

 

天台宗のHP↓によると

最澄は

中国天台山に赴き、(中略)天台教学を学び(中略)禅の教えを受けられ(中略)密教の伝法を受けられます。こうして、円密一致といわれる日本天台宗の基礎をつくられたのです。

 

天台宗といっていますが、中国天台宗とはおそらくかなり違って最澄ブレンドで、唐では天台宗≠密教

 

さりぃの理解だと密教は現世利益的。法力を駆使するために、世界の在り方に対して正しい理解が必要なので、知識と実践の両輪というイメージです。

 

時代にあわせて宗派ブレンドの割合を変えようとする人が出るから、比叡山から開祖達(法然・栄西・親鸞・道元・日蓮など)を輩出したのかな。

 

 

東塔の須弥壇には密教の本尊大日如来が祀られていて、天台宗では釈迦如来=大日如来とする(これって日本オリジナル?)。

大日如来の横には法華経の説法図があります。

 

阿弥陀堂

 

1937年建立の先祖供養回向(えこう)の場で、自由に中に入ることができます。

 

 

さりぃが覗いた時は法要中で、3名の僧侶がお経をあげておられてました。天台宗の読経が全て、天台声明かどうかわかりませんが、繊細でまさに宗教音楽です。

 

 

天井も美しいそうですが、お経に夢中で見落としました。

 

国宝殿

最澄の「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」に因んで名づけられました。

 

 

信長の焼き討ちを逃れた横川(よかわ)にあったと伝わる平安の釈迦如来像のお顔が非常に柔和。お地蔵さんのような近さで拝見できます。

 

 

特別展「戦国と比叡」を開催中(こちらは5日まで)。今年で焼き討ちから450年

 

 

目玉は焼き討ち後、延暦寺再建の立役者となった天海の鎧。舞台衣装のように派手で立派。

 

天海の鎧は坂本の滋賀院にもあってこちらは写真OK。天海はかなり頭脳明晰。天海=明智光秀説があります。美女細川ガラシャのお父さんにあたる光秀は自他ともに認める美形なので、天海もイケメンやろか。光秀ではなくても、派手な鎧が二つも残るということは元は武将なんやろな。

 

比叡山の復興に関する豊臣秀吉徳川家康の書状や焼け焦げた仏像の展示もありました。

 

 

特別展のこけら落としイベントで織田信長の子孫と明智光秀の子孫を招待したシンポジウムがありました。コーディネーターは勝海舟の子孫。

 

 

ケーブルカー

帰りはケーブルカーで坂下へ(こちらもつるべ方式)。1927年開業で比叡山⇔坂本の坂本ケーブルが日本最長(2,025m)、で比叡山⇔八瀬の叡山ケーブルが日本最大の高低差(580m)。叡山側の駅から琵琶湖が見えます。

 

 

坂本の駅はレトロな登録有形文化財。

 

まとめ

比叡山は平安時代の創設で小学校の教科書にも出る超有名な場所ですが、京都でよく見る修学旅行生はいませんでした。信長の焼き討ちのため、新しい建物も多く、古刹感はあまりありませんが、山の霊場感はあります。

 

 

一隅を照らす」という天台宗のキャッチフレーズが奇しくもコロナ時代にピッタリで、元三大師疫病退散のお札が注目されて、存在感を増したように思いました。

 

 

最澄とペアにされる空海。彼は雨を降らしたり、池を作ったりという気象や土木技術面でも有名。様々な教義の統合を図った最澄は文系の大秀才、密教世界の真理とある種の技術を追究した空海は理系の天才という見方もできるかも。ハーバードロースクール(実はあんまり知らない)とMIT(さりぃは遊びに行ったよ)といったイメージでしょうか。

 

 

(終わり)