【金戒光明寺】本山僧侶と特別拝観!非公開の巨大山門、御影堂内陣、大方丈まで
~運慶の文殊五尊、アフロ仏、襖絵の仕掛け…山門の上に広がる圧巻の浄土~

 
まいまい京都の金戒光明寺ツアーに参加しました。比叡山から降りてきた法然上人が43歳で初めて草庵を結んだ場所に建立されています。
 
知恩院と同じく、徳川幕府ゆかりの寺院で城構え(戦えます!御所など、京都の要所に近く、今でもアベノハルカスが見えるほどの眺望があり、兵を駐屯させる広さがあった、ことが理由です。
 
 
1862年に京都守護職の本陣が敷かれ、会津藩主松平容保(かたもり)が上洛し、その後、新撰組が守護職預かりという形になりました鳥羽伏見の戦いの戦死者も祀られています。
 
 
山門からツアー開始。幕末の1860年に完成し、武家造りで槍対応。安政の大獄が1858年なので、盛んになった尊王運動幕府が打った手の一つでしょう。
 
 
山門からの景色は絶景ですが、落下の危険があるため外も撮影禁止。写真↓は階段の途中から撮ったもの。
 
 
内部は天井が低く天井画の龍🐉が迫ってきます。内部は12月5日まで特別公開中。晴れていたら絶景、推し。
「浄土真宗最初門」菊の御紋付き後小松天皇勅額が山門の正面に。江戸時代に宗名論争があって、今の浄土真宗の公称は当時は一向宗で明治維新以後に浄土真宗となりました。
 
 
手水舎にはアフロ仏を模したダッキーさん。
 
話題のアフロ仏、正式名称は五劫思惟(ごこうしゆい、地球規模の恐ろしく長い時間かけて考えていると意味)の阿弥陀仏。本来は供養仏なのですが、誰の供養かはもうわからないそうです。
 
金堂は昭和に入って消失、何と1944年、終戦の前の年に再建。京都大学が設計に協力して、採光だけではなく音響も配慮した建物です。
 
映画燃えよ剣ロケ地です。
 

 

吉備真備ゆかりの千手観音(重要文化財)、通称、吉備観音も引っ越してこられてこちらに安置。真備が唐より持ち帰った栴檀(せんだん)香木を行基が彫ったと伝わります。遣唐使ですから交通安全、道中安全をお願いするのは納得ですが、なぜか歴代天皇は安産祈願。英語では分娩はdeliveryですけど…。
 
三大文殊の一つ伝運慶作の中山文殊も金堂に安置されています。
 
隣の大方丈は、新撰組発祥の地といわれ、謁見の間の前庭では御前試合が行われてたそうです。建物は昭和の再建です。大方丈の非公開部分で法然忌の法要が毎年行われます。
 
 
楽しい仕掛けのある虎の襖絵🐅。明治維新まで絵師は生きた虎ではなく皮しか見たことがありませんでした。久保田金僊は、京都動物園で実際に虎を見て絵にした絵師です。

 

ここに虎の絵の写真あります。

 

 
結婚式の前撮りにも使われるご縁の庭
 
阿弥陀堂は若手の僧の修行の場で寺で最も古い建物。慶長年間に豊臣秀頼公によって再建され、恵心僧都(源信、横川の僧都)の最終作といわれる阿弥陀如来が本尊です。胎内にノミが納められていることから通称「ノミおさめ如来」。実際にCTなど撮って確認したという話はあったかな…?
 

 

平安仏らしいとても穏やかなお顔でした。上人よりも古い仏様だからお引っ越しですねこの方も。これは機会があれば誰かに質問しよう。

 

参加者から、なぜ通称黒谷さんと呼ばれるのですか?と質問が。比叡山で法然上人が修行してた場所が黒谷。そこが元黒谷で、草庵が新黒谷だったのですが、新が取れて黒谷さんになったそうです。
 
↓10月23日、今頃は真っ赤?
 
境内のお茶屋さんのみたらし団子。お茶も美味しくて推し!
(終わり)