京都国立博物館、畠山記念館の名品展の講演会に行きました。
当日先着順からネット申し込みに変わり、ローソンで聴講券付きチケットを購入。
東京白金台にある畠山記念館が、長期改修中のため収蔵品が関西初公開!
「共に楽しむ茶の美術館―畠山コレクション誕生の背景とその魅力」
講師:水田至摩子(畠山記念館学芸課長)
畠山一清氏と彼が一代で築いたコレクション説明が講演会の中心でした。聴衆の多くが畠山記念館に行ったことある方に手を挙げておられっましたさりぃは一清氏の名前を今回の展覧会で初めて知りました。
畠山家は能登の守護でしたが、維新後、一清氏は苦学して東大に入学し、主席で機械工学科を卒業しました。水道ポンプを扱う荏原(えはら)製作所を創業し、時を同じくして美術品収集を開始。
記念館は1964年、オリンピック後に開館しましたが、茶の湯の精神から最初は一切ポスターなどの宣伝も図録もなし。一清氏自身が来館者に説明し、心を尽くして持てなす「熱と誠」を実践の場としました。
開館の動機は愛蔵印にも表れされた「即翁與衆愛玩」(そくおうよしゅうあいがん)。即翁は一清氏の号で、交流のあった実業家茶人益田鈍翁(旗本→大蔵省→三井財閥創設)を意識した名前です。「與衆愛玩」は皆と共に楽しむという意味で、21 世紀的シェアに通じるものもあるようです。
明治維新後、茶の湯と能楽のは担い手が武士から実業家に移りました。能楽の盛んな金沢の武家出身の一清は晩年には宝生流免許皆伝になるほど能に打ち込みました。加賀前田家ゆかりの品々を中心とした華やかな能衣装(前期後期でほとんど入れ替え)と面などが展示されています。
茶の湯は、当時の実業家の嗜み。お茶🍵に因む美術館は、関西では、朝日新聞創業者村山龍平(伊勢の士族出身)の香雪美術館などがあります。
展示物には、誰から一清が譲り受けたか、の記載があります。鈍翁が欲しかった柿の蔕(へた)茶碗も展示されています。
畠山記念館で柿の蔕茶碗の毘沙門堂を見てきた。写真では静かな険しさが感じられたけど、実物は意外と素朴で一見すると何でもない器だった。見込みは広く浅い。80年前の1937年に畠山即翁が益田鈍翁を茶会に招待した際の道具を展示し、実業家茶人の交流の様子が窺え、なかなか興味が湧く内容だった pic.twitter.com/rSpyAmdITT
— 潤 (@extudes) 2017年10月20日
柿の蔕の天下三碗の一つで、山科の毘沙門堂(びしゃもんどう)に伝わったことから銘は毘沙門堂で、元は李朝からの舶来品。細川三斎(細川ガラシャの夫、忠興)が所持したことから「細川井戸」と呼ばれます。松江藩主で茶人の松平不昧(ふまい)公の手にも渡っています。
教科書等にも掲載され、最も引き合いの多い所蔵物は、平安時代の三蹟の一人、藤原佐理(すけまさ)の甥に宛てた手紙、離洛状(国宝) 。さりぃは読むことができませんが、旅の途中で慌てて書いた感じは伝わってきます。
さりぃの印象に残ったものは、展示の一番最初の横書きの書「楽天命」。1966年、一清、80代半ばの書です。左から右へ書かれています。かつて縦書き合わせて、横書も右から左に書かれていました。説明にもあるように新しいものを受け入れる気持ちを表したものなんでしょう。
(終わり)