萬福寺の所領は徳川幕府から提供されました。もともとは後水尾天皇の生母のお住まいで、そこで普段使われていた井戸が残っています(写真右上端)。
隠元禅師は後水尾天皇からも崇敬を受けたようで、国師号も送られています。
これは説明があったかもしれないけれども今のとなっては謎の石。
こちらの寿蔵は隠元禅師のお墓で、生前から建立されたもので、こちらも中国風の建物。
合山鐘、がっさんしょう。撞くのOKでしたので、喜んで撞かせていただきました。除夜の鐘としても撞かれるようです。
建物は基本的に回廊でつながっているので、雨が降っても日々のお勤めに影響が出ません。洗濯機や乾燥機のない時代に衣類のお手入れも大変だから、こういうところにリソースをかけているのかも。
下の写真の左に見える×印の匂欄は、日本では珍しいたすき匂欄で、チベット・中国で使用されているデザインだそう。
天王殿を本堂の手前に置くのは中国の寺院独特の伽藍配置です。布袋様がおられます。布袋様は七福神の中で唯一、存在された方。日用品を入れた大きな袋を担いで旅をし、貧しい人には袋の中から必要な物を与えたといわれる南宋の高僧です。弥勒菩薩の化身ともいわれていますが、日本の弥勒菩薩のイメージとはかなり体形も色も違います。
布袋様と背中合わせに、お釈迦様を守る韋駄天がおられます。見目麗しい韋駄天が釈迦のために方々を駆け巡って食物を集めたことに由来して、御馳走、という言葉が出来たそうです。
二人の周りに四天王が配されています。どなたもカッコいいですね~。
お仕事しています感が溢れています。
(続く)