先日、気になっている娘がいると言っていましたが、その娘は容姿から入りました。

まだ学生時代だったので、居間の性格から入る自分ではなく、容姿から入る自分でした。

学校の後輩であり部活の後輩で1学年下の黒髪で長髪の似合うスレンダーなメガネ美人です。

部活同じだったことからよく話、性格も文句なしと思いました。本当に好きだと感じたのはその娘が同じ大学に進学してきてからです。大学時1度告白しましたが『先輩としか見れない』と言われフラれました。社会人になってしばらくたってからまた告白しました答えは同じでした。

でもまだ諦めていません、もう40歳になろうとしている自分ですが。

まぁ自分でいうのも変な話ですが、自分はいいところ1つもありません。容姿だってニホンザル、特に屋久島の屋久猿に似ています。体系もそんなに良くないし、こんな自分好きになってくれる娘は絶滅危惧種だと思います。

冒頭長くなってすいません、本題に入ります。

今回話したいのは、聞いたことある人多いと思いますが『零戦』正式名称『零式艦上戦闘機』について書こうと思います。

一口に零戦と言っても型は多いです。

十二試艦上戦闘機から始まり、一一型、二一型、三二型、二二型、二二型甲、五二型、

五二型甲、五二型乙、五二型丙、ここまでが一般的な零戦の括りです、この後六三型、六四型と続きますが、この2つの方は零戦の形はしている物の特別攻撃機専用機、略して特専機と呼ばれていて零戦とは一線を引かれていました。

順に書いていきます、十二試艦上戦闘機は零戦の試作機でここから伝説が始まりました。

有名なのは二一型からですが、中国戦線で戦っていたのは一一型です。二一型が有名になったきっかけが真珠湾攻撃です。この零戦が一番優秀だったと聞いています。

その二一型の翼端を切り幅を狭めたのが三二型ですが飛行機乗りからは評判が悪く、一番最低の零戦でした。俗に二號零戦と呼ばれていました。

二二型が三二型ののあとに来るのは、三二型の翼端を伸ばし丸くした三二型の次に作られた機体だからです。しかし五二型ができるまでは二一型が主力戦闘機でした。

五二型は零戦の中でも一番速力の早い型でしたが、性能は二一型に比べると格段に落ち、航続距離も二一型よりも短かったのです。

戦争末期でも戦闘機乗りは好んで二一型を選んで乗っていました。

この後五二型乙から派生した、六三型、六四型はもう戦闘機ではなく、人間爆弾でした。

機銃も搭載していなく、燃料タンクは半分、胴体内燃料タンクは、燃料の代わりに爆薬をつんでいました。その上500kg爆弾搭載するため各箇所が強化され、この500kg爆弾は固定式で、途中で捨てるという事は出来ませんでした。そのうえ主客は離陸と同時に自動的に格納され、主客を出すスイッチは撤廃されていました。つまり一度離陸したら不時着は出来ず、敵に特攻するか自爆するかの二択しかありませんでした。

六四型さらに、操縦席周りが簡略化され、操縦桿とスロットルレバー、計器は速度計、燃料計だけともう零戦ではありませんでした。

なぜここまで簡略化された理由は少年飛行兵でも操縦できるようにという事と、低コストで生産できるからと言う理由で、ここまでなりました。

ベテランパイロットは口々に六三型、六四型は『空飛ぶ棺桶だ』と言っていました。

ここで忘れてはいけないのが、二一型から派生した水上戦闘機、二式水戦も零戦の一種として数えられます。通称『下駄ばき零戦』と言われ、水上戦闘機では一番優れていました。

これが日本での零戦の全てです。

 

<雑記>

話は全然違いましが、今年は戦国武将真田幸村が注目いさされていますが、誰しもが間違えて覚えていることの真実を書きます。

真田の紋と言うと文銭が6つの紋ですが皆さんこう呼んでいませんか『六文銭』と、これは正式な呼び名ではありません。

正式な呼び方は『六連銭』と呼びます。旗の関係から2段になっているので勘違いしていた人が多いと思いますが、確証ある真田の文献に書かれていました。

一つ勉強になったと思います。