消えゆく灯火 | 学生団体S.A.L. Official blog

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その男は、 仰向けになり、横たわっている。

瞳を閉じ、深く呼吸をしている。


怯えているのだろうか、覚悟を決めたのであろうか。

空疎な時間が過ぎていく。


次の瞬間、仰向けになった男に一点の火が灯る。

彼に着火した者は友人であろうか、親友であろうか、或いは、肉親なのであろうか。

どんな気持ちを抱いて着火したのであろう。

嗚呼、男はみるみる燃えていく。

数秒もすると男はあまりの痛みに耐えられなくなり、発狂しながら走りだす。

そうして、力なく倒れる。


倒れた男を目掛けて一斉に消火が開始された。

鎮火された男の皮膚は焼けただれ、目は潰れ、生命力などそこにはもう微塵も無かった。


彼の周りで人々は悲しい顔をしている。呆然と立ち竦む者、この気持ちをどうして良いのかわからなくて、泣き叫ぶ者。

悲しみと怒りと、そして虚無感で空間は満たされている。

彼は焼身して幸せになれたのだろうか。




あるいは、彼の死は、人々を幸せにすることができたのであろうか。

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私は去年に中国を周遊した経験もあり、とても中国にポジティブな感情を抱いている。だがやはりそこには問題があり、民族問題もその一部であると感じる。また、単民族国家である日本人が、多民族国家である中国について理解を深めることは非常に意義があることではないかと感じ、今回はこのような経緯でチベットに訪れた。

西寧という中国の地域から22時間程列車で移動した所にチベットの首都ラサがある。蛇足であるが、この鉄道から見る夜空は文字通り神秘的だ。標高5000mを通過するこの鉄道の周辺にはもはや妨げる建造物や街灯など存在しない。ダイヤモンドみたいにキラキラ輝く満天の星空と、UFOの軌跡のように横走っていく流星。漆黒の空に散りばめられた宝石たちに対する無類の感動に加え、とうとうチベットに行けるのだという喜びとが相まって、私はその夜、高鳴る胸を押さえながらやっとの思いで瞳を閉じた。

だが、到着したチベットは私がイメージしていたチベットとは少し違ったようだ。まず、私がラサに対して抱いた第一印象は「ここは中国だ。」という印象である。街を歩けば赤い国旗がはためき、中国語で溢れていた。近代的な建物も多く建築されていた。神秘的な宗教観もそこには存在していなかった。赤い袈裟を来た僧侶がスマートフォンをいじっている。チベット仏教を代表する寺院では、巡礼するチベット人と、写真をパシャパシャ撮る観光客でいっぱいになっていた。また、ラサの街には悲壮感など微塵も感じられなかった。私が現地人に微笑むと、白い歯を見せて手を振ってきてくれる。外では子供がボール遊びをしている。人々は寺院で好きなだけ祈りを捧げ、暇さえあればビールやタバコを愉しんでいた…。

なぜこのようにのんびりとチベット人が暮らしているのか不思議に感じたが、後の話によると、2008年のラサでの大規模な暴動をきっかけに中国政府はチベットに対して宥和政策をとるようになったそうだ。農村部の人々に対しては教育費の無償化を行ったり、娯楽を享受できるように手配している。チベット語を使用することに対する規制も緩和されてきた。また、チベットの人々の生活水準は確実に上がってきており、穏やかな雰囲気が街を包んでいた。

それだけに今回のチベットの滞在を終えて、私は何が正解なのか分からなくなってしまった。私がイメージしていた、“中国政府がチベットを圧政し、人々はその下で生活を制限されている”といった単純な構図では無かったからだ。

だが、この中国政府の懐柔政策にはある戦略が見え隠れする。単純に言えばチベット人の“アイデンティティー”を風化させる戦略だ。チベットでの教育は中国政府の管轄の下行われる。また、安い酒やタバコを中国からチベットに仕入れ、嗜好品でチベットを満たしていく。そうする事で、チベット人の頭が賢くなりすぎる事を制限しているのだ。また、インフラ整備などの政府の政策により、人々は生きている事に危機感を感じなくなる。当然生きることに危機感を感じなくなれば暴動も起こし辛いであろう。

このように現在のチベットは少しずつ、でも着実に赤色に染ってきている。悲しいかな、チベットを赤い大国から救う事で利益を得る者は少ない。それ故、今後もチベットはどんどん赤くなってゆくであろう。


私たちは、チベットの伝統や文化を消えていくのをこのまま見る事しかできないのだろうか。身を焼いたあの男の、魂の叫びは、無駄であったのだろうか。


【文責:広報局2年 長内椋】