空の色 | 学生団体S.A.L. Official blog

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『インドの満員電車』

といえば、あの写真が頭に浮かぶ人は少なくない。
私がここ、インドの地を踏んでから数日が経つ。列車は何度か乗ったが、あの有様まで人がてんこ盛りになったものは見ていない。

仮に見たとしても、きっと驚かなかっただろう。


私は昨年の夏にもここに来たことがある。帰ってきたと言うと大袈裟かもしれないが、その言葉にそれほどの違和感はない。
道端にはゴミが溢れかえり、空気は薄汚い。
街を歩くとスパイスの香りが漂い、そこら中でクラクションがわめいている。
どこで見かける出店の男も、偶然出会った栗色の肌の少年も笑顔で話しかけてくる。

それが日常のように感じてしまうのである。
インドらしい、ということを意識するのも忘れてしまう時がある。

ここの『常識』は私にとってこんなにも容易く馴染むものなのか。


道すがら、あるインド人の少年が私に話しかけてきた時があった。
彼の英語は珍しく流暢である。
何度か言葉を交わした最後に、明日うちの店に来ないか、と。
観光地のよくある日常に鬱陶さを感じた。

翌日、私は彼の店の前をたまたま通りかかった。
店に入ると彼は真摯に説明してくれた。
彼の言葉の所々に表れる
’’my friend’’
が街の売り子の空虚な言葉と同じとは思えなかった。
確かに商品を売る熱意は伝わってくる。だが、それ以上に人と人のつながりを大切にしようとしていると思った。

私の中のインド商人と眼前の健気な少年は重ならなかった。



この空の下にはたくさんの言葉がある。数え切れない信仰があり、それぞれの風習の下で一日を過ごしている。
インドの文字も神様も知らない私は、彼らと共に生きるのが簡単なようでやはり難しいのかなと思った。


そもそも私がインドに来た意義は何だろう。
何かを自分の中に残せるだろうか。

見習う点も課題も山ほどあるこの国がどうしたら格差なく発展できるのかとかそんな小難しいことも考えてみた。
だが、そんな大それたことに短時間で答えが出るとは思えなかったし、
考える意味があるのかはよく分からなかった。

ただ一つ、はっきりと分かったことがある。
それは、ここの空は私が見慣れた空の色だということで、
私の時間も彼らの時間も同じ様に流れている証に思えた。

肌の色が異なる彼らとの些細な関係の中で、
私の『常識』は簡単に塗り替えられ続けていくのだろう。

マネ局7期:虎走 暸