象徴の死から、再考 | 学生団体S.A.L. Official blog

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2013年12月5日、20世紀の偉大なる指導者がまた一人、亡くなった。
ネルソン・マンデラ(享年95歳)。
かなりがんばって生きてくれたものだ、と朝一番のニュースを見ながら思った。
まず思い起こされるアパルトヘイトの撤回闘争、その後の南アフリカ全民族の融和への尽力(「黒人」は一つの人種ではない。現在も公用語だけで11ある。)、そして政治家引退後もサッカーワールドカップ招致活動など…95歳まで彼を生き長らえさせたのは、今もまだ存在する被圧民族の苦悩だったのかもしれない。彼の民族融和・人類平和への思いの強さに驚き、ただただ敬服するばかりである。

彼の死を報じるニュースを見ながら脳裏によぎったのは、夏に南アフリカで見た2人の少女の姿だった。

私は今夏、インターンシップという形で1ヶ月間南アフリカに滞在した。
その8月のある日、ケープタウン州のとあるミュージアムへ行った。
現地の学校のエクスカーションだろうか、多くの小学生が先生に引率され、そこを訪れていた。
調子に乗って悪ふざけをしている者、友達同士でこそこそおしゃべりしている者、展示そっちのけで私たち外国人をまじまじと見つめる者―振る舞いは日本の小中学生と同じようだった。
生徒の大半はいわゆる「黒人」だが、中には「白人」の生徒もいた。

その姿を見たのは、帰りがけだった。
小さなバンに乗り込んで、窓の外を見ながら出発を待っていたとき。
同じ頃帰ろうとしていた小学生の集団の列の中で、2人の女の子が肩を組みながら歩いていった。他の生徒と同じようにこちらへ手を振りながら。
その様子を見て、いつもはうるさいドライバーのTyrnがぽつりと言った。「―あんな姿が見れるなんてな。20年前じゃ考えられなかったよ。」
2人の女の子のうち、一人は黒人、もう一人は白人。
しかし彼女たちは間違いなく親友だった。

アパルトヘイトはたしかに多くの不平等政策を黒人にもたらした。バスや病院は完全に分けられ、トイレの使用すら許されない場所があった。差別の存在に黒人たちは苦しみ、何十年も辛酸をなめ続けた。その状況を遺憾に思い、マンデラ氏も闘争を奮起したのだろう。しかし彼の根幹にあったことは、彼が長い間獄中で望んだことは、大きな政治変革という野望ではなく、ひとえにこの姿を見ることではなかっただろうか。希望の象徴である子供たちが、人種に関わらず、互いに手を取って歩く姿を。小さくても、互いに認め合う姿勢を。

彼が生前に成し遂げた偉業は、他の誰も真似できない大業ばかりであった。
タイトルだけ見れば、イメージできないほどの出来事ばかりである。
しかし彼の粉骨砕身の本当の賜物は、こうした小さな喜びにあると私は思った。
制度改革などの事実がほしいのではなく、真に人々が認め合って生きていく姿。
彼の目指した人種差別撤廃・民族融和は、この姿の誕生をもってして、成し得たのではないだろうか。


【広報局2年 山崎みず穂】