ぎゅるるるー…
怪しげな腹の音と、決して発音が良いとは言えないガイドさんの『オキテマスカー』という大声で、今日は始まった。
この日は、バングラスタツアの中で最も重要な日と言っても過言ではない。
バングラデシュについてちょっとでも知識があれば、誰でも聞いたことがあるであろうあのグラミン銀行を訪問した。
もちろん事前にリサーチはしていったわけだが、よくもわるくも驚きの連続であった。
グラミン銀行のマイクロクレジットについて僕が初めて得た知識は新聞のほんの切れ端から得たもので、その第一印象はまさしく『そんなうまい話があるわけない。なにか裏があるに違いない』というかなり否定的なものであった。
担保もとらず、収入のほんのわずかな貧しい女性に銀行が融資することになんのメリットがあるのか意味不明であった。これは社会貢献の仮面に覆われた偽善的利益追求なのであろうなとすらおもった。
しかし、その内実は思いのほかしっかりしていた。
例えば、beggers、所謂物乞いにも生活するために最低限必要なお金を貸す融資システムが存在し、なおかつ彼らに返済の義務は一応はあるにしても、銀行側は返済がなくても催促をせず、法的措置もとらないというのだ。すなわち、返済は完全に物乞い自身のモラル、金銭状況に依存し、グラミン銀行側は法的実行力を行使しないらしい。これは物乞いでなくても然りということだ。
また、実際に融資を受けている村に訪問してみて、感じたことは、一度融資を受けた者がしっかりと長期的に返済できるような基盤が整っているなーということ。
具体的には、融資を受けている者たちが週に一回、村のセンター(正直ただのトタン小屋)で集会を開くのだが、そこの集会にはグラミン銀行の行員が必ず来るようになっているし、返済額はその時の金銭状況によって調節可能で返済はセンターで行えば良いというから、被融資者がグラミン銀行の支部におもむかねばならないのは実質たった一回、最初に手続きをするときのみなのである。
グラミン銀行の基本方針として、You do not have to come to the bank, since the bank will come to you という表現があったが、その通りであった。
最後に、グラミン銀行の提供する救済措置の内容に感心した。
というのも旦那が死んで、未亡人となってしまった女性の返済義務は全くなくなるというのだ。保証人もとらないので、その浮いてしまったお金はそのままグラミン銀行の損失になる。
なぜ、ここまでの救済措置を認めているのだろうか。
行員の人に、『グラミン銀行は営利目的なのか、それとも慈善事業なのか』と聞いてみたところ、
『あくまでビジネスだが、first priorityは利益を最大化することではなく、継続して貧しい人を助けられるだけの収入源を確保すること』という答えが返ってきた。
日本の銀行や世界的に有名な銀行とは、そもそもお金を貸す目的が違うのだなと感じた。
ビジネスと慈善(チャリティ)の画期的かつ見事なバランスに無限の可能性を感じた。それだけではなくこの国には思いやりの気持ちが確かにある。
人間はただの利己的なロボットではないのかもしれない。
人間が資本主義という得体のしれない経済システムを発見し、それに捕らえられてから、長い間ないがしろにされてきた"思いやり"なる最後のパズルピースがここにはあるのかもしれない。
【文責:渉外局2年 田中桂太】