「 しあわせ 」 ってなんだっけ | 学生団体S.A.L. Official blog

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慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。

こんにちは♪
今回ブログを担当させて頂く、法学政治学科2年の松本悠莉亜です!
よろしくお願いしますv

今回は「幸せの王国」として知られるブータンに触れて感じたことを書きたいと思います!


今年一月にTBSの「世界ふしぎ発見」という番組で、ブータンの特集をやっていました。

そこに映し出された光景に、私は強く心惹かれました。

小さい子からおじいちゃんまで一緒に暮らす大家族。
家のつくりは質素で、水も電気も通っていなさそう。
だけど、家族皆で集まって、これ以上ないという笑顔で笑いあっている。
そこに暮らすおじいさんは、笑顔でさらっとこんなことを言っていました。



「 今が十分 って気付くことが 幸せなんだ 」



・・・この言葉を聞いたとき、はっとさせられると同時に「いいなぁ~~。」ととても羨ましく思いました。

私にはこんな言葉、言い切れません。
気付けば「服が無い お金が無い」と言っていますし、満足感を得るために常に「もっと欲しい」と思っているところがあります。

それと羨ましいと思ったのはその純粋な笑顔溢れる人間関係です。
たまに一日が上っ面の会話だけで終わったとき、私はある種の無力感のようなものを感じます。
どこかで、「人と強く繋がってたい。まっすぐに向き合って、心で笑い合えるような、そんな人間関係が欲しい」と願っているんだと思います。

この番組を見て、私はすっかりブータン人になりたくなっちゃいましたw
そしてその「幸せの秘密」は何だろう?と気になって、ちょっと調べてみました。
そしたら、思いがけずショッキングな「ブータンの今」が垣間見えてきたんです。


"GNH(Gross National Happiness) is more important than GNP(Gross National Product)"

これは1976年に当時21歳だった国王が言った言葉です。
「これから、国際社会の中でブータンを守っていくには、経済の自立が不可欠。だけど、ただ他国の技術や物を取り入れて経済成長し、それによって豊かな環境や文化が失われて国民が幸せだと実感できなくなったら近代化の意味はない」
この国王の揺るがない信念によってブータンは統治されてきました。

「心の豊かさを守り、経済成長していく」

素晴らしいですよね。
それが出来ていたらいいんです。

しかし、徐々に押し寄せる近代化の波によって、ブータンの人々は少しずつ変わってきているようです。




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電気も水道も無い平均的なブータンの農家。
ランプの明かりのもと、夕食時には笑いが絶えることは無かった。

最近、この村の家族にとって一大変化が起きた。
地方電化プロジェクトによって、村に電気が入ったのである。
家の中では、電灯の下、古ぼけたかまどの横の真新しいガスレンジで調理する女性の姿がみられるようになった。
年老いた家長はこう言う。
「電気が我が家にきたことによって、私たちは闇の世界から光の世界へと解放された。そう、悪魔から解放されたのです」
「あなたは今満足していますか?」との質問に対しては、
「決して満足していません。テレビも欲しいし冷蔵庫も欲しい。それらを買うためのお金が欲しい。私は老い先短いので、残していく息子たちのために何か物をもっと残してやりたいのです。それに電気料金を払うために現金収入が必要。今後のことを考えると、仕事が見つかるのか不安です」
そう答える家長の横では、会話も無く黙々と食事をしている家族の姿があった。

(『現代ブータンを知るための60章』第7章、平山修一著、明石書店)
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この一節に触れたとき、私は少しぞっとしてしまいました。

近代化によって変わった家長の考え方、家の様子が、普段の私たちのありかたにあまりに似ていると思ったからです。

そして怖いと思ったのが、援助する側の良心(勿論純粋な良心ではなく自国の利益を考えた支援もあると思いますが)やブータンの人々の一時の喜びといったプラスの感情によって、いとも簡単に一番大事なものが失われてしまったという点です。

援助する側もブータンの為を思って電化プロジェクトを支援している。
ブータンの人々の方も、生活が良くなり、そして喜んでいる。

しかし、そこにはもう

「今が十分って気付くことが幸せなんだ」

といって家族で笑う以前の姿はなくなっている。
そして目の前にある「モノ」によって大切なものが失われた、ということに気付くことすらできなくなっている・・・。

近代化によってもたらされるであろう貧富の格差。
それによって生まれる、優越感や劣等感、競争心、不安感、とめどない物欲。
気付けば豊かなモノに囲まれているが、そこには「今私は幸せだ」と言い切ることができなくなっている自分がいる。

ブータンの近代化が進み、初めの崇高な国家目標は空しく、このような結末になってしまうのだろうかと想像すると、とても残念な気持ちになってしまいました。

勿論ブータン全体が上に挙げた話のようになっているわけではありませんし、将来私の想像するようになってしまうなんて何の裏づけもありません。
これまでもっていたいい面を保ちつつ経済的に自立でき、理想的な国になっているかもしれませんし、そうなって欲しいと思います。

しかし、近代化に伴う情報量の増加に対応して刺激されるであろう人々の物欲に歯止めをかけることは、とても難しいだろうと感じました。
そしてこちらがよかれと思って支援して、相手に喜ばれているように見えても、それは麻薬のように相手を蝕んでいってしまうこともあるんだ、と援助の難しさについても考えさせられました。

私も人間である以上モノや情報に溢れる環境の中で物欲やさまざまな邪魔な感情を捨てることは出来ないと思います。

ですが、ブータンの人々が教えてくれたことをまず自分が忘れないようにすることで、周りに「しあわせ」を生み出すことができたらと思います。






参考文献・URL

『現代ブータンを知るための60章』第7章、平山修一著、明石書店

世界ふしぎ発見!HP バックナンバー「いま世界が注目! 幸せの王国ブータン」
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery1083_1.html