曖昧主義 | 学生団体S.A.L. Official blog

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他の価値観を受け入れることは大切であり、積極的に行っていくべきである。
国際協力の世界では使い古された言葉だろうし、私自身それを理解しているつもりだった。
しかし先日、「価値観を受け入れる」ことの難しさを痛感したできごとがあった。

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それは、私が韓国に旅行をしたときのことだった。
私は、旅行中に友達である韓国人の家に4泊した。
彼といろいろと話したなかで、韓国の「徴兵制」の話になった。
普段は徴兵の義務は約2年だが、ひとたび戦争が始まれば、約11年に延長されるという。
私は興味心から、
「もしも徴兵されている最中、上官に、国のために今死になさい、と言われたら死ぬ?」と聞いてみた。
すると彼は、
「死ぬよ。国のために死ぬのは本望だし、親もそう言っている。本当は恐いけど。」と答えた。

それを聞いた私は必死になって
「国のために死ぬなんておかしい、'絶対’に間違っている」と説得しようとしていた。
もちろん彼に死んでほしくなかったというのはあるが、
私は相手の考えを受け入れるどころか、それを完全に否定し、自分の考えが絶対に正しいと押しつけようとしていたのだ。

頭では分かっていたつもりでも、本当には分かっていなかった。
それに気づいたのは、帰国した後のことだった。

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このように自分の価値観の中で絶対に正しいと思ったことが通用しない時に、相手の考えを受け入れることは
本当に難しいことだと思う。
私たちはこのようなときに、どのようにして他の価値観を受け止めればいいのだろうか?

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結論からいえば、「曖昧主義」のようなものが必要とされているのではないだろうか。
先ほどの例でいえば、私は私の意見を変えるつもりがないし、彼は彼の意見を変えることはないだろう。
このままでは2人の考えは平行線をたどる。
曖昧主義では、こちらの価値観を押しつけるわけでもなく、相手の考えを非難するわけでもない。
どちらが正しい、どちらが間違っている、の二項対立で考えるのではなく、曖昧にする。
2つの価値観の落とし所が、まるでアクション映画の結末のように綺麗である必要などない。
もちろん相手を理解しようと努力することが絶対条件であることは言うまでもないが、
普段は悪い意味で使われることが多く、一見何も考えていないような「曖昧さ」も
相手の価値観を受け止める、という非常にデリケートな問題を扱う際にはひとつの解決策であるように思えた。


【広報局1年 杉本将太】