自分で見る事、自分で知る事。じぶんで感じる事。 | 学生団体S.A.L. Official blog

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慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。

今回のブログ担当は環境情報学部1年、武井ヒロアキです。

 自分は最近、先入観や偏見についてよく考えます。自分はリベラルで偏見なんかないと思っていても、大学に入っていろいろな人と話し、影響されるうちに自分の考えの偏りを痛感させられることが多くあります。

 そこで、(同じことを話した事があるのでその方には申し訳ないのですが)自分が先入観や偏見について考えるきっかけになった、「車イステニス」のテレビでの特集についての話を少しします。

 その特集では日本人の車イスプレイヤーに焦点が当てられ、事故から世界大会で優勝するまでがドキュメント形式で綴られました。その番組の後半、日本人のプレイヤーが決勝に進み、最後の1点を取れば優勝という場面が訪れました。その場面はその日まで何度も練習を積み重ねていたシュチュエーションで、まさにそれまでの成果が試される場面と言えました。結果、高いレベルが必要とされるプレーをみごとに成功させ、彼は優勝しました。


 しかし、その場面を見たとき、優勝を素直に喜べていない自分がいました。
 
 
 自分は、車イスでは絶対に追いつくことのできないボールを寂しそうに見つめる相手の外国人選手のことを、瞬間的に、単純に、「かわいそう」、そう思ってしまったのです。そしてすぐに、そう思った自分にとても動揺しました。障害の無い人の大会なら、普通に優勝を喜べたはずです。でも、そのときはそうできなかったのです。また、そう思ってしまったことが、隠していた自分の偏見意識の証拠のような気がして自分を疑いました。

それ以来、自分や他人のリアルな考え方や感じ方について興味を持つようになりました。


 
考え、感じるのは自分自身です。しかし、実際のところ自分をどこまで知れているのでしょうか。いったいどこまで知ろうとしているのでしょうか。また、どこまで知るべきなのでしょうか。

それは漠然としていて誰にも答えることのできない問題です。
でも、何に対しても、現実を受け止めることは大切だとおもいます。

なぜなら、リアルを知る事でしか感じられない何かがある、そう思うからです。
また、知る事でしか行動は起こせないからです。


自分の目を開くことができるのは自分だけ、そう思います。


だからこそ、世界を自分の目で見たいと強く思います。リアルに触れたいと強く思います。


そうすることで、世界を、自分を少しでも知りたい。
そんな風に考えたりもする梅雨の今日この頃です。


国際問題とは少し離れてしまいましたが、今回はこのへんで。