夕凪の街 桜の国 | 学生団体S.A.L. Official blog

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「あの橋を通ったのは八日のことだ
お父さんも見つからない妹の翠ちゃんも見つからない鼻がへんになりそうだ
川にぎっしり浮いた死体に霞姉ちゃんと瓦礫を投げつけた
なんどもなんども投げつけた

あれから十年

しあわせだと思うたび
愛しかった都市のすべてを人のすべてを思い出し
すべて失った日に引きずり戻される

おまえの住む世界はここではないと誰かの声がする」

―――――――

今回は、漫画の紹介をしようと思います。
こうの史代さん著「夕凪の街 桜の国」です。
上記の文章は、この作品の中で私が一番印象的だと思ったシーンの一部です。



物語は、「夕凪の街」と「桜の国」に分かれています。
「夕凪の街」の舞台は、原爆が落とされてから10年後、昭和30年の広島です。

主人公の皆実は、戦争の記憶を封じて日常を取り戻した広島で、母親と二人で暮らしています。
つつましいながらも、平和で、あたたかい毎日。
しかし、皆実はその平和な日常に違和感を抱いています。

「わかっているのは死ねばいいと誰かに思われたということ」
「思われたのに生き延びているということ」


同僚に告白をされたとき、その違和感が皆実を襲います。
一番はじめに書いた文章は、その時に登場するものです。

死体をまたぎ、踏んで、腐っていない死体から下駄を盗んでいた記憶が、10年後の皆実が「幸福」になることを阻む。
皆実は10年前の記憶と向き合うことで、それを乗り越えようとします。

「生きとってくれてありがとうな」


しかし前向きに生きようと決めた矢先、皆実の体を蝕んでいた放射能が表に顔を出します。
力が抜け、歩けなくなり、ものが食べられなくなっていく様子が、淡々と描かれていきます。
目が見えなくなる様子が、真白なコマで表現され、皆実の言葉だけがつづられます。

「嬉しい?」
「十年経ったけど 原爆を落とした人はわたしを見て『やった!また一人殺せた』 とちゃんと思うてくれとる?」



「桜の国」は、皆実の甥が受ける被爆差別についての物語です。
疎開していた皆実の弟が広島に戻り、被爆した女性と結婚するまでのエピソード等も交えて、何十年経っても残り続ける原爆の傷痕を、淡々と、しかしリアルに描いています。

皆実の甥にあたる凪生は、その姉である七波(皆実の姪)の友人に恋をします。
しかし相手の両親に反対され、会うことを禁じられてしまいます。
七波は母の死を回想しつつ、原爆が自分たち姉弟にまで残していったものについて考えます。

「母さんが38で死んだのが原爆のせいかどうか、誰も教えてはくれなかったよ」
「なのに凪生もわたしもいつ原爆のせいで死んでもおかしくない人間とか決めつけられたりしてんだろうか」



この物語を描いたこうのさんは、被爆者でも、被爆二世でもありません。
あとがきでこうのさんは、

「原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に、『よその家の事情』でもありました。」

そして、広島と長崎の人間以外が原爆の惨禍について知る機会に恵まれないことを受けて、

「平和を享受する後ろめたさは、わたしが広島人として感じていた不自然さよりも、もっと強いのではないかと思いました。」

と語っています。



「広島のある日本のあるこの世界を愛するすべての人へ」

と書かれたこの作品は、数えきれないほどたくさんの人に向けてひらかれています。
しかし、不思議なほど「読む義務」や「責任」というような重苦しい言葉は似合いません。
水彩で描かれた装丁は美しく、爽やかです。

私はこの作品を読んで、それでも、広島に行ってみようと思いました。


夕凪の街 桜の国
こうの史代著/双葉社
括弧の中は全て「夕凪の街 桜の国」からの引用です