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慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。

そこには灯も音もなかった。あるのは月と星の明かりと風の音くらいか。私は4月2~8日の1週間を宮城県石巻市で過ごした。2011年3月11日に発生した東日本大震災で被災した地域の震災ボランティアをするためだ。ボランティアへの参加の決断は私にその期間の予定のすべてをキャンセルさせ、多くを失わせることとなった。しかし帰宅した今、失った以上のことを得られたと満足感に溢れている。



 深夜、現地に降り立った私は足を震わせた。これが果たして日本かという光景がそこには広がっていた。灯も音もない闇の世界は、私にまるで映画のワンシーンを見せているかのようだった。生への、復旧への活動が行われる日中、やっと人の「声」が聞こえ始めた。「ご苦労様です」、「お疲れ様です」。これがここでの挨拶の返答であった。これは被災者が自分を受け入れてくれていただいていることを感じさせ、喜ぶとともにここが被災地であることを改めて知らせる言葉であった。ボランティアの内容とは、被災した家の家具、泥の撤去であった。作業を行った家の内のある1軒の家。そこは77歳のおばあちゃんの一人住まいの家であった。「ご苦労様です」と言われ、始まった作業。地震発生4日目にして自衛隊により救出された彼女は、夫の位牌をどうにか探してほしいと言った。「いらない。いらない」と海水に浸り、泥の付着した財産の多くを捨てて良いと言う彼女。そんな中、泥に塗れた夫の位牌は見つかった。「あった。あった。お父さん、ごめんなさいね。良かった。良かった。ほんとありがとうございました」と安堵したのか彼女の頬にうれし涙が垣間見えた。これで作業を終了しても良いと思えるような歓声がボランティアから湧き上がる。一緒に涙する者もいた。



 やるべきことはこれである。ボランティア参加は間違いではなかったのだ。二次災害の危険、家の瓦礫撤去作業を雇用創出に用いるべきというような様々なボランティア反対の声が叫ばれる昨今。私が見た被災地の現状は、ボランティアは必要だと自負させた。現場は圧倒的な人手不足、マネジメントの甘さが目に余る。家の瓦礫撤去作業開始は申請から1週間後という現状。消費期限切れの食糧が避難所に届くという現状。出会った多くの人々の声が私の胸を打つ。



 聞こうとしない人には何も聞こえない。また、見ようとしない人には何も見えないのだ。メディアでは知るべき情報のほんの一部しか知らされない。しかし、それを埋めるかのように現場は多くを知らせてくれるだろう。ボランティアという現場の視察が私に多くのかすれ行く声を掬い取らせたように。

【文責:広報局 瀬谷健介】