がんステージⅣで入院中の母に逢いに、

娘、孫、ひ孫が面会時間ギリギリまで、人数制限、時間制限の中、交代でお見舞いに行った。


個室だったので、比較的、リラックス出来ていた様快適と母が言っていました。


ひ孫が病室で踊ると、管で繋がれていたのに、

一緒に手だけ使っでお茶目に踊っていた。  

とても楽しそうな笑顔でした。

母もみんなとの楽しい想い出作りをして、

できる限り笑顔でみんなの心に残っていたかったのでは無いかと思った。

帰り際に「また来るね」と言うとニッコリと笑顔でピース✌️をみんなにしていました。

でもママのピース✌️は、

普通みんなは手のひら側を相手に向けると思うのですが、昔から反対の手の甲側を向けるのです。

何だかみんなクスクス笑いながら、いつものママだと帰って行ったそうです。

私が見舞いに行けない時は、少しでも安心する様に、姉が写メや、動画を送ってくれました。


少しずつ、眠る時間が長くなってきました。

食べられる事も減ってきました。


母が、姉に「ママ、頑張ったよね」

と聞いたそうです。

姉が、母に「ママは充分に凄く頑張ってきたよ。凄いね、偉かったね、みんなママの事、尊敬しているよ」

と伝えたら、

母は、「うん、うん」と誇らしく、笑顔で喜んでピース✌️をして返事をしたそうです。




母の病気が、大腸がんのステージⅣと診断され入院。もう手術は出来ない。緩和ケアに入る。

姉の家に連れて帰り訪問医療、看護に切替るか、そのまま病院で緩和ケアを続けるか?

母は、ずっと、ずっと前から、

「ママが何かあったら、死ぬ時は痛くないようにだけしてね、延命処置は拒否する。最後の最後は迷惑かけてしまうと思うけど、その時はごめんね」と何十年も言い続けてきた。


母は、このまま病院での生活を選んだ。 

多分、姉に電話する前に、

死の覚悟は出来ていたのだと思う。


母の事だから、またみんなに迷惑をかけない様に考えたのか?

それともこのままの方が安心なのか?

皆んなで悩み苦しみながら、

なぜ、近くにいて私に打ち明けてくれなかったのか?

なぜ、私は母の性格を知っていて、気づいてあげられなかったのか?

痛いのをひとりで苦しんでいたのでは無いか?

なぜ? なぜ?と自分に問いかけました。


しかし、母との会話を振り返って見ると、

最近まで、声も明るく元気に歩いて銭湯に行っていたのを見かけた事もあった。

心配かけて、暗く生活するのも嫌だったから、できる限り自分で生活したかったとも思う。

いくら後悔しても、事実は変わらない。

母の命は限られている。

今、母が一番の幸せを感じてもらえる様に頑張ろう。と気持ちを切り替えた。





私は、比較的母の家の近くに住んでいました。
重たい買い物を届けたり、仕事の合間に様子を見にいっていたのですが、
仕事も母に何かあったらと、母の家の近くに転職しました。
なぜか、2年前から、少しずつ母からの拒絶が始まったのでした。姉にも良く相談していたのですが、理由がどうしてもわからなかった。なぜ?何か悪い事をしたのかなぁ?とずっと思っていました。

母が弱ってきて、姉ひとりで介護が出来ないと連絡が来た時に、私も神奈川へ引越し、転職して介護して行こうとアパートや、転職先を探していた矢先に、あれよあれよとあっという間の出来事でした。

ついに急に拒絶した原因がわかりました。病気を隠したかったからなんだ。
女でひとり頑張って働き、私達を育ててくれた。

曲がったことが嫌いで、
真面目を絵に描いた人、
甘えることを知らずに生きてきた。
壮絶な人生を送ってきた。

そんな母は、自分の死を覚悟して暮らしてきたんだ。