アキレスと亀 | Eisai i nyxta me ta ainigmata

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つぶあんこは電気ショックで死ぬ夢を見るのか。


今日は会社の創立記念日ということで全社休日でした。
「創立記念日で休み」なんてのは初めてなので
なんつうか、素直に嬉しいものと受け止めていいのやら。

ということで久しぶりに映画を観に行ってきました。
観てきた映画は「アキレスと亀」です。

北野武作品なので当然キャパが200くらいの小さい劇場だったのですが
映画の日にも関わらず客入りは半分以下という
かなり寂しい入りな訳でして。
そりゃあ、前2作が「あんなの」な訳だから仕方がありません。

素直な感想を言わせてもらうと
「HANA-BI」以降の映画ではいちばんいいのではないでしょうか。

話を一言でまとめるとしたら
才能のない画家を目指す事になった一人の男が
自らの才能のなさに気付き、諦めるまでの一生を追いかける話です。
宣伝ではたけしが主役みたいに扱われていますが
少年期、青年期、老年期の3つのパートの最後を担当しているだけです。

確かに酷評する理由に挙がるだろう
「北野武の絵が使われている」、「HANA-BI」の二番煎じじゃん。
という意見なのですが(実際その感想を終演後に聞いてしまった)
確かにたけしの絵は使われてはいるけれど
それは映画を象徴するものではなく
あくまで才能のない主人公の移ろいやすい、というかバックボーンのない
「才能のない作品」としての扱いにすぎないものになっています。
例えば露骨にクレーやカンディンスキー、ウォーホールなどをパクっていたり
前衛的な事をしていると思ってやっている事は
すごく凡庸なものばかりだったりします。
「誰でもピカソ」をやっている事もあってでしょうか
「ダメな芸術表現」というものをわかりやすくダメに表現していきます。
そしてそれをより鮮明にしているのが
主人公の周りに登場する「絵画」につながる人物の描写。
ほとんどの人物が北野映画で表現される「ドライな死に方」で死にます。
それは主人公の才能のなさを「ドライな死」で表現しているのですが
本当にわかりやすく、そして唐突にバタバタと死んでいきます。
ここはネタバレですが主人公の一人娘も「ドライに」死にます。
その時の主人公の取った行動は、悲しいを通り越して狂っています。
最後は主人公も表現の極限として画家としての「死」を選び
そして表現するという能力すら失ったところで救いのある終わりを迎えます。

表現者としての北野武が前2作で露骨に笑えない笑いに走ってみたり
自問自答したあげく答えを出せない禅問答に終始したものに比べれば
「これが撮りたいんだ」という芯が通っている感じがすごくする映画です。
「童心に帰った」のかもしれません。

確かに観た後に「絶対にこれもヒットしない」というのは
本当にわかるのですが
「座頭市」は例外として
北野映画としては久しぶりにとっつきやすい映画です。
すべての北野映画の中でも「北野映画らしい」映画かもしれません。

そして、これはイイ映画です。
自らの才能のなさを自覚する過程の映画です。
わしは面白かった。
ただ、近代絵画の知識がちょっとあった方がいいかもしれません。
(その方が登場する絵画たちが一目で「凡庸」であるとわかりやすいはず)
まあ、なくても作品や表現に才能がないのに気付くから
全然大丈夫なんだけど。

某TRICKの監督が撮ったハリボテ映画3部作に比べれば
(ちょっとでも期待してしまった時点で自分が間違いだと気付いたよ)
こっちを観るべき映画だって言えると思います。
うん、久しぶりに北野映画で面白いと心から思ったよ。

あと、落下の王国も観たのですが
テンションの異常に高い映画だと思ったよ。
なんつうか、久しぶりにアーティスティックな方向に
凄い映画を観たって感じ。
ツキイチゴローでゴローちゃんがネンイチに選ぶ理由もわかる気がする。
ストーリーはヌルいんだけど、画がとにかく劇場で観るべき圧倒的に美しい映画ですよ。