フリーダム・ライターズ | Eisai i nyxta me ta ainigmata

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つぶあんこは電気ショックで死ぬ夢を見るのか。


今日は東銀座東劇に「河童のクゥ」を観に行ったのですよ。
行ったのはいいのですが、やってしまいました。
「河童のクゥ」、公開が来週だったんですわ。
代わりにやっていたのは「ドルフィンブルー」。
それはスルーです。
そして結構心が砕けてしまいました。
もちろん自分のチェック不足が原因なのですが。

そこで銀座のアップルストアまで戻って
ネットで検索してみたところ
いつかは観たいと漠然と考えていた
(ベストがワイルド・アット・ハートなわしなんざ赤子以下だけど)
デヴィッド・リンチの「インランド・エンパイア」が15時からで
時間的にもいい席でしっかり観る事ができるのですが
如何せん心が砕けている時に
わざわざ恵比寿までどんぶらこと移動して
デヴィッド・リンチの3時間の映画を観るなんて
そんな荒行に耐えられる訳もなかったので
近場の日比谷シネシャンテで上映している「フリーダム・ライターズ」を
見に行く事にしたのでした。
http://www.fw-movie.jp/
(公式HP、音が出ますよ)
とはいえこちらも観客はぎっしり満席で
結局前から2列目で観賞するハメになりました。

これ、実話をモチーフとしてヒラリー・スワンクがプロデュースし
実際に役を演じて映画にしているというものなんですよね。

前知識がまったくない状態で観に言ったのですが
素直に面白いと感じさせられる映画でした。
教育に情熱を傾ける新任教師がクラスに受け容れられる過程と
「クラス203」というコミュニティを形成する過程とが
しっかり描かれていると感じました。
実際にクラス203で起こる出来事は
事実だったにせよ「ギャングから抜ける」などといった
観ている側からすると予想できる範囲の出来事が起きる訳で
こういう事が起きる「だろう」とわかっていて
実際に「だろう」事が起きるのだから、どっしり観てられます。

人種という日本にはありえない壁の問題に対して
過去に人種差別を行ったナチスドイツの行いを例に出し
自らの学校外の背景となる出来事や行動規定に「響かせる」事。
人種に対し最初から偏見として反発の対象としていた事から
ずっと精神的にひとりで抱えずにいられなかったものを
「日記でつれづれを書き連ねる」事から信頼関係を得る事。

そうした信頼を得る過程がしっかりと描かれています。

日記を書いていく事で、ギャング抗争に開け暮らしていた
生徒達の心は変化していくのです。
この過程がすごく響いていきます。

確かに生徒と向き合う事に熱心になる故に
主人公のグルーウェルの夫婦生活は崩壊してしまうのですが
それは映画としては「事実としてそうだった」と簡潔に描く程度で
それでいいと思います。
グルーウェルと生徒とが向き合っていく話なのですから。

そんな生徒が「アンネの日記」から価値観を変える程の
経験をしていくのがステキで羨ましく思えるのです。
(そこがガタイは大きくても16歳らしくて微笑ましい)
こんな贅沢な学生生活を行える、教師と生徒とで向き合える関係
それが本当に羨ましく思います。

自分が映画で描かれている15,6歳の頃には
全くもって経験できなかったものたちであり
そして愛おしく感じるものたちだったから。

日記を書き、そして描き、心をつなげる事。
それが15,6の自分にあったのなら
自分はもっと精神的に多様で充足した大人になっていたと思う。
それを経験できなかった自分は
経験する環境にすらなかった自分は悲しくも、思ったのですよ。

素直にイイ映画だと思います。
全く前知識はなかったけれど、これを観てよかったよ。