前回のつづきです。
2022/8/2
↑
" 沖縄の神人さん(語り部さん)と
二人三脚で動いていらっしゃる方 "
の話しで終わっていましたが、
それからその方のブログ、
"追跡アマミキヨ"
さんを拝読するようになり、たまにリンク
する事も何度かありました。
2017年9月
アメ限記事
ある時、朝に夢でみた記録を自分のブログに
書きました。
2018年 2月8日 備忘録/自分用から
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
この2日後の追跡アマミキヨさんの
記事の中に奈良・興福寺の
"窪弁財天 坐像"の画像が
貼られてあり頭に宇賀神と"鳥居"、
"下膨れのお顔"
が まさに
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
夢でみたUFOそっくりでした。
古いタイプの八臂の弁財天様で
頭に宇賀神(蛇の身体の老人)、
左手にはマニ宝珠をお持ちです![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
![ダウン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/175.gif)
「山階寺(やましなでら)」で
天智8年(669) 藤原鎌足が重い病気を患った際、
夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、
釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために
造営され、和銅3年(710)、平城遷都の際に
「興福寺」と名付けられた。
興福寺の三重塔に窪弁財天は祀られて
いるのですが、、、
天川弁才天(現在は天河大弁財天社)
の伝承では、
興福寺南円堂建立(813年)の無事を祈り、
空海さんが天川社に参篭して弁才天を感得し、
興福寺南円堂建立(813年)の無事を祈り、
空海さんが天川社に参篭して弁才天を感得し、
興福寺に勧請したとか。
話しは追跡アマミキヨさんの↑
記事内リンク「弁財天と7人の日巫女」
をみていただきたいのですが
語り部さんの霊視では
白い丸と赤い丸。
これは太陽と月。
弁財天は、蛇であり龍、
そして妙見菩薩。
頭の上の宇賀神は
天之御中主神。
7人の乙姫達は
北斗七星。
・
・
・
あるいは、白と赤の玉は
龍宮の姉妹神、
豊玉姫(=潮満珠で赤)、
玉依姫(=潮干珠で白)とも
とれるかもしれません。
話しは少し逸れますが、
沖縄に住んでいた頃に
神人グループの"視えて、聴こえる"
(みえない存在から)言葉をおろす
担当さんが、ご自分で受け取ったか、
別の神人(かみんちゅ)さんから
聞かれたか話しかは忘れましたが
ある時に、
"龍宮の珠は2つじゃなく
3つあるらしい…。"
と聞いた事がありました。
追跡アマミキヨさんも書いていらっしゃいますが
1つは"干珠"
2つめは"満珠"
3つめが
"御統の珠"(ミスマルの珠)
天女シリーズ④で書いた、那覇市の
沖宮の初代の宮司さんの著書より↓
琉球王国時代の国章と同じです。
この時計回りの三つ巴は
"女神"を表すようです。
追跡アマミキヨさんの次の記事
(六甲山と瀬織津姫160)
も凄い記事内容なんですが、、、
天長の祈雨
824年、干魃が続くなか
淳和天皇の勅命で、神泉苑にて
雨乞いの祈祷を行い日本中に
雨を降らした空海のお話し。
今昔物語によると
最初は西寺の守敏が雨を降らせる
事に成功した。
次に東寺の空海が祈ったが雨は降らず。
怪しんだ空海が調べたら
守敏が日本中の龍神を法力で
水瓶の中に封じていて
龍神さん達は空海の祈りに
応えることが出来なかった![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
そこで空海は北天竺(今のチベット)の
善女龍王に祈ったところ3日間
都だけでなく、国中に雨を降らし
潤すことに成功したそう。
空海の祈りに応え、北天竺から飛来した
女神="善女龍王"は 八大龍王の一尊、
沙掲羅龍王の三女であり
"清瀧権現"、
牛頭天王の后 "頗梨采女"
または"歳徳神"
とも同一視されている。
追跡アマミキヨさん/
六甲山と瀬織津姫160
の記事には
824年の天長の祈雨で
善女龍王は空海の祈りに応え
神泉苑に現れ雨を降らせた以外に
空海に"宝珠"を授けたらしい…![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/031.png)
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/031.png)
と書いていらっしゃいます。
龍王が住むのは海底の宮、
"龍宮"であり、龍王の妻や姉妹、娘は
ちょっと似た話しで、竜宮(龍宮)城に
行って帰ってきた人物の話しといえば、、、
"浦島太郎"の物語ですよね![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/042.png)
![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/042.png)
↑こちらも元になった話し?として
日本書紀(720年完成)の
雄略天皇22年(478年)の条に
"浦嶋子"という今の京都府与謝郡
に住む人が舟に乗って釣りに出かけ
大亀を捕まえるのですが
亀は美女となり、浦嶋子と美女は結婚し
蓬莱山に至る。という短い内容と
なっているそうです。
日本書紀は奈良時代に書かれてますが
鎌倉時代初期に書かれた
"水鏡"という書物の
淳和天皇の条・天長2年に
帝は嵯峨法皇の四十歳のお祝いをされ、
今年、浦嶋子が帰った。
と書かれているそうです![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
天長2年とは、西暦825年
空海が神泉苑で雨を降らし
善女龍王から"宝珠"を渡された年の
翌年なんですね![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
淳和天皇の第四妃で、後に"如意尼"
と呼ばれる方がいらっしゃり
この方は、浦嶋子と同郷で
丹後の籠神社の海部の姫様でした。
出家されるまでは"真名井御前"と
呼ばれ、空海の弟子となり
兵庫県西宮市"神呪寺"を
開基した。とも伝わっているそうです。
Wikipedia神呪寺
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/神呪寺
追跡アマミキヨさん/六甲山と瀬織津姫③
https://mintun.exblog.jp/22691355/
さらに詳しくは追跡アマミキヨさんの
六甲山と瀬織津姫シリーズ①から⑤あたりと
沖縄の天女伝説シリーズに
書かれていますので
じっくり読まれてみてください![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
羽衣天女からスタートし、
天女=龍宮乙姫、弁財天、古代天神信仰の巫女、
泥手の神、船玉、妙見、龍神、、、
様々な姿、名前を持つ"女神"と
聖徳太子、空海、海人族などが関わる
1つの"宝珠"の行方は今も
定かではない…。(日本国内にあれば
まだ良いのですが、、、)
歯切れが悪く、これにて
終了ですが
かなりエネルギーを使って
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
しまったようで
しばらくは
![チーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/045.png)
夢見の話しとか、最近はまってる
ヒーリングの話しなど軽めに行きたいと
思います![デレデレ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/047.png)
![デレデレ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/047.png)
お付き合いありがとうございました![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/033.png)
![ショボーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/033.png)