↑見に行きた〜い❕…私は関西なので行けませんがえーん





前回のつづきです。

2022/8/2

" 沖縄の神人さん(語り部さん)と
二人三脚で動いていらっしゃる方 "
の話しで終わっていましたが、

それからその方のブログ、
"追跡アマミキヨ"
さんを拝読するようになり、たまにリンク
する事も何度かありました。




2017年9月

アメ限記事


ある時、朝に夢でみた記録を自分のブログに
書きました。
2018年  2月8日 備忘録/自分用から

ダウン

夜、高台の階段から降りて行くと目の前は海・港かヨットハーバー?があり 何艘かの船が停泊している。階段の中程から眺めているとUFO🛸が飛んで来た。下がかなり丸く出っ張っていて 上部に角張った柱のようなモノが付いている。(昔の羽釜?の上に鳥居が乗ったような感じ)山の方に飛び去ったあと、港の船(真っ白で新しい感じ)から突然炎が🔥上がり燃え出した…。(夢の中で船の持ち主は加山雄三さん?が浮かんだ)



↑こんな感じのUFO滝汗




この2日後の追跡アマミキヨさんの

記事の中に奈良・興福寺の
"窪弁財天 坐像"の画像が
貼られてあり頭に宇賀神と"鳥居"
"下膨れのお顔 滝汗が まさに
夢でみたUFOそっくりでした。


古いタイプの八臂の弁財天様で
頭に宇賀神(蛇の身体の老人)、
左手にはマニ宝珠をお持ちです照れ
ダウン


興福寺の前身は、京都の山科に創建された
「山階寺(やましなでら)」で
天智8年(669) 藤原鎌足が重い病気を患った際、
夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、
釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために
造営され、和銅3年(710)、平城遷都の際に
「興福寺」と名付けられた。


興福寺の三重塔に窪弁財天は祀られて
いるのですが、、、

天川弁才天(現在は天河大弁財天社)
の伝承では、
興福寺南円堂建立(813年)の無事を祈り、
空海さんが天川社に参篭して弁才天を感得し、
興福寺に勧請したとか。


話しは追跡アマミキヨさんの↑
記事内リンク「弁財天と7人の日巫女」
をみていただきたいのですが


語り部さんの霊視では

白い丸と赤い丸。
これは太陽と月。

弁財天は、蛇であり龍、
そして妙見菩薩。

頭の上の宇賀神は
天之御中主神。

7人の乙姫達は
北斗七星。




あるいは、白と赤の玉は
龍宮の姉妹神、
豊玉姫(=潮満珠で赤)
玉依姫(=潮干珠で白)とも
とれるかもしれません。

話しは少し逸れますが、
沖縄に住んでいた頃に
神人グループの"視えて、聴こえる"
(みえない存在から)言葉をおろす
担当さんが、ご自分で受け取ったか、
別の神人(かみんちゅ)さんから
聞かれたか話しかは忘れましたが
ある時に、

"龍宮の珠は2つじゃなく 
3つあるらしい…。"
と聞いた事がありました。


追跡アマミキヨさんも書いていらっしゃいますが
1つは"干珠"
2つめは"満珠"
3つめが
"御統の珠"(ミスマルの珠)




琉球王国時代の国章
(↑お借りしてます。)





天女シリーズ④で書いた、那覇市の
沖宮の初代の宮司さんの著書より↓

     ↑ 右側の紋(女御世)は、
琉球王国時代の国章と同じです。
この時計回りの三つ巴は
"女神"を表すようです。




追跡アマミキヨさんの次の記事
(六甲山と瀬織津姫160)
も凄い記事内容なんですが、、、


天長の祈雨
824年、干魃が続くなか
淳和天皇の勅命で、神泉苑にて
雨乞いの祈祷を行い日本中に
雨を降らした空海のお話し。


今昔物語によると
最初は西寺の守敏が雨を降らせる
事に成功した。

次に東寺の空海が祈ったが雨は降らず。
怪しんだ空海が調べたら
守敏が日本中の龍神を法力で
水瓶の中に封じていて
龍神さん達は空海の祈りに
応えることが出来なかった滝汗

そこで空海は北天竺(今のチベット)の
善女龍王に祈ったところ3日間
都だけでなく、国中に雨を降らし
潤すことに成功したそう。


空海の祈りに応え、北天竺から飛来した
女神="善女龍王"は 八大龍王の一尊、
沙掲羅龍王の三女であり
"清瀧権現"、
牛頭天王の后 "頗梨采女"
または"歳徳神"
とも同一視されている。


追跡アマミキヨさん/
六甲山と瀬織津姫160
の記事には
824年の天長の祈雨で
善女龍王は空海の祈りに応え
神泉苑に現れ雨を降らせた以外に
空海に"宝珠"を授けたらしい…びっくり
と書いていらっしゃいます。


龍王が住むのは海底の宮、
"龍宮"であり、龍王の妻や姉妹、娘は
"乙姫"で、記紀にある"海幸山幸


の話しでは、
火遠理命=山幸彦が兄の釣り針を
失くしてしまったのをきっかけに
海神の娘、豊玉姫と出会い、結婚し
海神の宮で3年過ごし、
干珠と満珠をもらう。と、なっています。


ちょっと似た話しで、竜宮(龍宮)城に
行って帰ってきた人物の話しといえば、、、

"浦島太郎"の物語ですよね真顔


↑こちらも元になった話し?として
日本書紀(720年完成)の
雄略天皇22年(478年)の条に
"浦嶋子"という今の京都府与謝郡
に住む人が舟に乗って釣りに出かけ
大亀を捕まえるのですが
亀は美女となり、浦嶋子と美女は結婚し
蓬莱山に至る。という短い内容と
なっているそうです。


日本書紀は奈良時代に書かれてますが
鎌倉時代初期に書かれた
"水鏡"という書物の
淳和天皇の条・天長2年
帝は嵯峨法皇の四十歳のお祝いをされ、
今年、浦嶋子が帰った。
と書かれているそうです滝汗


天長2年とは、西暦825年
空海が神泉苑で雨を降らし
善女龍王から"宝珠"を渡された年の
翌年なんですね滝汗



淳和天皇の第四妃で、後に"如意尼"
と呼ばれる方がいらっしゃり
この方は、浦嶋子と同郷で
丹後の籠神社の海部の姫様でした。
出家されるまでは"真名井御前"
呼ばれ、空海の弟子となり
兵庫県西宮市"神呪寺"
開基した。とも伝わっているそうです。



Wikipedia神呪寺
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/神呪寺



追跡アマミキヨさん/六甲山と瀬織津姫③

https://mintun.exblog.jp/22691355/


さらに詳しくは追跡アマミキヨさんの
六甲山と瀬織津姫シリーズ①から⑤あたりと
沖縄の天女伝説シリーズに
書かれていますので
じっくり読まれてみてください滝汗


羽衣天女からスタートし、
天女=龍宮乙姫、弁財天、古代天神信仰の巫女、
泥手の神、船玉、妙見、龍神、、、
様々な姿、名前を持つ"女神"と

聖徳太子、空海、海人族などが関わる
1つの"宝珠"の行方は今も
定かではない…。(日本国内にあれば
まだ良いのですが、、、)


歯切れが悪く、これにて
終了ですが滝汗 かなりエネルギーを使って
しまったようでチーン しばらくは
夢見の話しとか、最近はまってる
ヒーリングの話しなど軽めに行きたいと
思いますデレデレ


お付き合いありがとうございましたショボーン