久しぶりに描いたパステル曼荼羅照れ
(実際に描いたものを加工してます)



ゴールデンウィーク、、、と言っても
特にお出かけ予定の無い我家真顔

普段は家に帰ると 仕事の疲れで目が
しょぼしょぼ汗で…
じっくり本を読む気が失せてしまうため
休みの間に何冊か本を読もうと思ってます。





4月の後半のある日、
たまに拝読しているブロガーさんが
新記事をアップされていたので
見ていました。

沖縄のある有名な聖地に行かれたようで
画像も何枚か載せていらっしゃいました。


私も沖縄に住んでいた頃に何度か
訪れた聖地ですが、私にとっては特に
お気に入りキラキラという場所でもなく
ただ単に"懐かしいなぁ"と
画像を眺めておりました。


すると、その聖地とは場所も
離れていて、関係のないある聖地…
というか、"羽衣天女"
と突然頭に入ってきたので

いきなり面識の無い方に
伝えるのは気分を害されたり
失礼かも…。と大変迷いましたが
思い切ってメッセージを
送ったのでした滝汗


メッセージを送ってからは
一件落着デレデレと別の事柄(大神神社、
三輪山)を本やネットで調べていたのですが、
今日になって色々繋がっている
ような発見がありました滝汗


羽衣天女に話しを戻すと
例えば、伊勢外宮の神・豊受大神ですが、
8人姉妹で ある時水浴びをしている
最中に、豊受さんだけ老夫婦に羽衣を隠され
天に帰れなくなった。というお話しがあり
日本各地に類似した伝説がありますね。

沖縄にもいくつかの羽衣天女
伝説があるようです。

一番有名なのは宜野湾、"森の川"
の羽衣天女。
奥間親方という人が天女と出会い
2人は夫婦となり一男一女をもうけます。
男の子の名は"察度"といい、
中山王となります。
この子達の母である天女は
銘苅(めかる)家"の女性だそうです。

突然浮かんだ羽衣天女の場所は
この森川の聖地でしたデレデレ



それから他には、
今の那覇市の新都市、おもろ町に
"銘苅"という場所がありますが
この銘苅村に住んでいた"銘苅子"
という人が川で天女と出会い結婚し
子どもをもうけます。(一男一女?)
女の子は成長し 尚真王夫人となり
佐司笠按司という高級神女の位についた
そうです。



最後は天女が登場する訳ではありませんが、
またまた銘苅子さんが老人に
なってからの話しでしょうか?

天久野という場所で翁(銘苅子)
法師と気高い女人が山の上から降りてくる
のを目にします。
その山の中腹に洞窟があり、近くには
井戸があり水が湧き出ています。
ある日、また翁は女人が洞窟に入る
途中で姿を消してしまうのを目撃し
時の王様に報告します。
王様に命じられた役人が洞窟に向かって
香を供えようとしたところ
自然に火がついたので、その地に
社殿を建て祀ったそうです。

そして
「 我(山から降りてきた法師)は
熊野権現なり、かの女人
国家の守護神なり、弁財天である。」
という神託があったそうです。

これは泊にある天久宮
お話しです。




さて、話しは戻って
冒頭のブロガーさんが書かれていた
沖縄の聖地は
"斎場御嶽"(せいふぁ・うたき)でした。

琉球王朝時代、最高神女である
"聞得大君"(きこえおおきみ=琉球王の
姉妹や王妃から選ばれる?)の
就任時に必ずここにお詣りして儀式を
行う場所なんですが、

三庫理、大庫理、寄満などといった
儀式・御願を行う場所があります。

"大庫理"が中心的な儀式の場で
あったそうですが、

琉球王朝初期の頃は
"大庫理"ではなく"寄満(ゆいんち)"
で聞得大君は即位したそうです。

"寄満"とは宝や五穀(豊かさ)、幸いが
寄り満ちる所の意味らしく
"台所"の意とされているようです。

では斎場御嶽の、寄満に祀られているのは?
"天女加那志"キラキラですって!

ある書によると
沖縄の人たちの祖先、祖霊は
"アマミキヨ"(アマミク)という女神で
兄弟である"シネリク"と結婚し
子孫を増やし、先住民に稲や麦など食料と
なる穀物の種を与えたり
進んだ文化を持っていたようです。

そのアマミキヨの四世が
"天帝加那志"と
"天女加那志"であり
天女加那志は、最初の聞得大君の
母神であったわけです滝汗


全部書ききれないあせるのですが、
今日はこれまでデレデレ