なかなかに文章で、沖縄の神社やお寺で
神職やお坊さんじゃない人々(神人・ユタ)が
拝み(うがみ)をしている様子を伝えるのは
難しいのですが、、、ニコ


沖縄には那覇や首里を中心に
琉球八社・八寺があり
琉球王国時代(15c〜19c?)以降、
沖縄に登場し始めたらしいです。


Wikipediaより抜粋
『琉球宗教史の研究』によれば、琉球には
臨済宗と真言宗の2派の仏教が伝えられ、
殊に臨済宗が厚遇されたが、真言宗寺院にも
王府から寺禄を給された八公寺が存在した。
これら八公寺には神社が併置されていたが、
これらの各社は俗に琉球八社と称された。



当時、私が沖縄にいた時、
"お寺"にお参りしたことはほとんど無く、
お寺=ユタの方々の修行の場であったり
相談に来られた方とユタさんが一緒に
御願されていたり(神社や御嶽も廻られます)
厄年の時や水子供養でお参りする場所。
といった感じでした。




私が神人(かみんちゅ)グループで沖縄中の
聖地を廻りだして3、4年ほどが過ぎたころ

流れとしては中盤の後半、そろそろ
一つの"区切り"を迎える。
といったあたりで

その日の神事の最後に、非常に珍しく
とある大きなお寺に
皆んな(その時は5、6人)で行ったのでした。


そこは首里の街中の高台にあり
やたらと広い駐車場と、当時の本堂の造りは
横一例に何体かの仏様が並んでいたのを
記憶してますが、お寺の名前をさっぱり
覚えていなくて滝汗あせる
長い間何処だったんだろ…と
悩んでいたのです。




入り口から本堂奥へと進むと
一番最初、左端に"弥勒"さんの像が
ありました。

弥勒といっても本土の弥勒菩薩像とは
姿が異なっています滝汗
沖縄の弥勒は"みるく"と発音し
昔からかなり信仰されていて、沖縄の祭りや
祀りに欠かせない神様の一柱です。




お寺に祀られていたのは
布袋尊のような↓こんな雰囲気だったような…あせる


神人グループには、高次の存在からの
言葉を降ろす人や、審神する人、
巫女の役割をする人、夢で前もって
場所や内容を伝える人などそれぞれ
役割りがありました。


順に並ぶ仏様の前で、一人ずつ
言葉おろす神人さんから
労いの言葉をかけていただいていたのですが、

私は最後に近い方で、労いの言葉と
何故だか分かりませんがグループを代表して。
みたいな感じで霊的なあるモノ
(役目に関する感じ)を渡されました。


神事では、その日必要だったり(使い切り)
別の場所、別の誰かに渡すべきものや
守りや役目に必要な目には見えない
"道具"をいただく事があります。

ほとんどが、玉(珠)や剣、
ひれ(布みたいなの?)とか巻き物とか
そんな感じのものが多いのですが


そのお寺で私が渡されたものは
同じようなモノを持っている。と聞いた
事があるのはこれまで一人だけで、
私達の神事では初めて聞くものでした。

私の印象だと、その種類によって
関わる範囲や場所、次元が変わるような
イメージでしたが、正しく何なのかは
謎のままです滝汗


それを渡して下さったのが、私の干支の
守り本尊でも何でもない
"虚空蔵菩薩"さまで
私に「 後生大事に持っていなさい。 」
とおっしゃられたそうで滝汗


お寺の名前は忘れたけれどデレデレ
虚空蔵菩薩様の事といただいたもの
の事だけはしっかりインプットしてました。




この時からだと10年は経っているでしょうか、
去年の暮れか今年のお正月あたりに
沖縄の"寺まーい"の記事を
目にしたのだと思います。

お寺の外観や本堂の画像を見て
あっ!ここだっびっくりビックリマークとなったのが、
通称"首里の観音堂"慈眼院さん
だったのです。

これで長年心の隅に引っかかっていた
ものが解消してスッキリ❣️は
良かったのですが、、、


気になる神社や気になる神仏、
気になるキーワード、夢でみせられる
もの、現実で見せられるものすべて

点と点が繋がり線となり、
さらに線と線が結ばれ面となり
その姿、流れが顕になってきた感が
物凄くしています滝汗
(ちょっとばかり腰がひける…💦)