売上増を実現する宴会セールステクニック

売上増を実現する宴会セールステクニック

小手先ではなく心構えからしっかり考える、目から鱗のホテルセールス実践論。当たり前だけど大切なことを、ご一緒に確認していきましょう!

 海外はもとより日本国内の「街角ピアノ」(テレビ番組)をよく見ています。

海外はそれなりに街に溶け込んでいますが、日本では特に印象にのこっているのは福岡です。

港町福岡全体を「音楽の街」にしたい(多分市長)の意欲が感じられます。

港町特有の雰囲気が溢れ、私には非常にいい感じに思われますが皆様はいかがでしょうか?

さてそこで札幌です。

前回札幌市長の秋元さんが不人気とお伝えしましたが名誉回復を目指し「街角ピアノ」を今一度考えてみませんか?

秋元さんの政策全体はわかりませんので確かな事は申し上げられませんが、メリハリがないなとは感じています。

それはともかく市役所の一階ロビーに置いてあるピアノは滅多に使われていないようです。

(あくまでも新聞報道による、私が新聞記事を見落としているかも)

いつも市役所のピアノみるたびに勿体ないと思っています。

ガードロープがピアノを囲み、警備会社のおっさんが怖い顔して見張ってます。

なぜ使わないのか私には謎です。

法律的に何か問題があるのでしょうか?

調律や手入れにお金がかかるのかもしれません。

そんなに大金なんでしょうか?

市長のポケットマネーで出せないの?

市議会議員諸君の浄財を募ってみる手はあるとおもいませんか?

街角ピアノ設置場所については、市民から設置場所についてアンケートを取る方法も有力と思われます。

市長の周りの少数で決めるのは感心しません。

市役所ロビー、札幌駅、地下街の適当な場所、商業施設の一角、公共施設等・・・・・・・・

一般市民を巻き込んではいかがでしょうか?

 

 又全市民に呼びかけ学校関係の部活の一環として、市役所ロビーの演奏会の開催も考えられませんか?

市役所で開催するとどんな不都合があるのでしょうか?

その不都合は解決出来ないほど難しいのでしょうか?

時間はかかるとは思いますが永い眼でみてはいかが?

札幌市全体が音楽で溢れ、札幌市のあちこちで音楽がいっぱいなんて、素晴らしいと思うんだけどな。

時間はかかるけど、いつか誰かがはじめたらいいなと夢想しています。

ねえ秋元さん、初めて見たらどう?歴史に残ると思うよ。

秋、枯れ葉舞う札幌が音楽で一杯、当然地下街も街の芸術家のために開放するのです。

札幌の雰囲気を変えてみませんか?

以上一市民の夢物語でした。

 

今日はこれでお終い、又ね。

 

 

 札幌市長秋元さんが不人気らしい。

私にとってどっちでもいいことですが、新聞によると相当の不人気。

市職員からも人気ないらしいのですよ、どうしたことでしょう。

 

私見によると原因は以下の通り

①日本ハムファイターズに冷たすぎ。

 札幌ドームでの物品販売の売り上げ歩合をめぐって、市担当者が相当高飛車な態度で日本ハム担当者を怒らせたらしいのです。

 どんなに高圧的な態度でも、日本ハムは札幌ドームを出て行かないとなめていたんだね。

 当然 市担当者→担当課長→担当部長→局長→市長というルートで結論が降りてくると日ハム担当は考えるでしょうね。

 さすがに日ハムもカチーンと来て北広島に新球場作っちゃえ!

 結果は御覧の通り、

 収入が上がった日ハムは外人選手獲得に予算が廻せ、何人も獲得できたよね。

 ところで日ハムが出て行ったあとの札幌ドームは赤字が倍増以上、悲惨な結果になっちまった。

 ドームを半分に仕切って収容人数2万5千人程度にしてみたがさっぱり。

 当然札幌ドームを半分にした場合の芸能社の反応調べたと思ったら何もしてなかったらしい。

 さすがお役所仕事、市側の勝手な思惑で、会場費安くなるので利用者が増えると考えたらしいが大誤算。

 もっと考えろよ!

 案の定誰も責任取らん!

 民間だと責任者は当然降格だよね。

 いいなー官庁は。

 責任取らなくていいもんね。

②老人定期代を値上げする案が失敗。

 老人に対する定期代値上げが市内各区での公聴会で不満続出。

 多分市長及びその周辺が市職員の給料、退職金、年金などを考え、充分暮らせるだけの収入だと勘違い

 ほとんどのシニア世代からは反発がないと考えたらしい。

 これが大きな間違い、余りの反応の悪さに対応策で右往左往。

 これも事前に市民の反応調べもせず、市長の常識のなさが露呈したよね。

 やっぱり市役所OBは困ったもんだね、社会常識が欠如していることがバレちゃった。

 

 さて次回の選挙どうするつもりかな。一般大衆はほとんど無関心。

 多分当選するよね。

 そして何事もなかったように市政は継続。

 ヤレヤレ。

 

 今日はこれでお終い、又ね。

 

 

 

 自民党の裏金疑惑が予想通りウヤムヤになりそうですな。

事実を解明する気は全くなく、国民が忘れるのを待ついつものパターンに持ち込むつもりなんだね。

野党の追究も途中で挫折したみたい。

政権を獲る気持ちが全く感じられないもんな。

自民党の、のらりくらり戦法にお付き合い。

 

 結局公明党は下駄に挟まった雪状態で、何時ものように自民党に丸め込まれ、維新の会もそれに同調、

政策活動費や政治資金規正法も結局自民党のいいなりになっちまった。

10年後に領収書公開だと!

そのころ岸田君始めいまの大臣は誰一人いないだろうね。

「当時の事は分からん。」なんて言い訳が見え見え。

ほぼ3年で時効になるみたいだし、まったくどうなってるんだい!!

 

 立憲民主党も、何故裏金貰った議員の一覧表作らないだろうね。

85人(?)のうち税金払ったのは誰と誰と明らかにしないのは不思議。

多分立憲民主党の何人かが、自民党から口止め料貰っていたりして。

やがて自民党の狙い通りウヤムヤ、みんな忘れていつの間にか霧の彼方へ。

 

 政界はこの有様、経済界もついこないだダイハツに怒りを爆発させたトヨタの偉いさん達、今度は自分たちが型式認証不正だと!!

「ブルータス、お前もか」と豊田クン笑いながら言ってたけど反省の色なし。

政界、経済界も、

「人として、してはならないことはしない」

という一番人の上に立つ人達が守らなければならないことを忘れていたみたいだね。

この程度の事は国民にわかりゃしない、バレたらあやまりゃいいんだ。どうせ国民はすぐ忘れるんだ。

ま、国民もすっかり舐められたもんだね。

やっぱり日本はアベシンゾウが総理になって以来、

「オレ達は偉いんだから何をやってもいいんだ。いざとなったらオレが検察を黙らせるから心配するな」

と言ってるんだね。

以前に女性に悪さした犯人を逮捕寸前で、アベちゃんかもしくはアベちゃんの気持ちを忖度した検察の偉いさんが

逮捕寸前に犯人を自由の身にしたこともあったっけ。

モリカケもしかり。

「人としてしてはならないことはしない」

との昔の武士道にも書かれていた大切なことも、アベシンゾウクンが壊しちまったし。

こんな奴を総理への道筋をつけたコイズミは今何を考えているのかしら。

 

 

 オレ達末端の市民が、インボイスとやらで税金を1円まで逃さず取られるのにさ、

自民党の90人近い連中は結局税金納めず、マスコミも報道せず霧の彼方へ。

いつも思うんだけど、マスコミは一度報道したら後追いの報道は無し。

おかげであたくしのように、年金以外年20万円も稼いでない小市民まで、税金とインボイスの報告義務で、

税理士事務所に書類作成で3万弱取られるし全く腹が立つことこの上なし。

多分それでも国民の大多数はアホだから、選挙で自民党に入れるに違いない。

かくして自民党は安泰、総裁選で岸田クンが再選され、いつの間にか元の木阿弥になってしまうんだろね。

野党はバラバラ状態で自民党になめられっぱなしだしさ、国民の怒りを持っていく場がない!!

誰かいないのかね、こんな状態を変えてくれそうな政治家は!

あたしゃ76歳と年取り過ぎてるしさ、これから立候補するには20年遅すぎたね。

子供達もフランスと台湾で永住権取ったし、しばらくは日本に帰る気持ちはないみたい。

当分は海外から日本の様子を眺めているほうが得策かもね。

 

今回は最近の日本が情けない状態になったし、こんなブログになってしまいました。

もし現在の日本に不満無い人いたらゴメンね。

今回はあくまでも伊東クンの個人的見解だからね(でも賛成してくれる人たちが沢山いたりして)

 

そんな訳で今日はこれでお終い、又ね。

 

 

 大関琴の若が改名、祖父の四股名”琴桜”を襲名しました。

この記事を読んだ時、ふとホテルに勤めていた時に何人かの関取と言葉を交わしたのを思い出しました。

以下思いつくままに関取の想い出を記します。

今の若い人には聞いたことのない関取ばかりでしょうな。

筆者は昭和23年生まれの後期高齢者76歳、皆様の祖父祖母と同じ年代だと思います。

 

ホテルマン時代、朝は午前9時半には営業に出かけ、昼にいったんホテルに戻り、その後営業午後の部をスタート

夜は5時頃ホテルに戻り日報書き、当日宴会のアテンドしたり館内各セクションに根回ししたりで

お客様にご挨拶する暇は殆どありませんでした。

そんな毎日でも何人かの関取にお会いできたのもすべてお客様のおかげです。

以下思いつくままに関取の想い出を報告します。

 

「先代琴桜(元横綱)」

昭和55年札幌グランドホテルフロントに勤務していた時に、先代琴桜さんが宿泊されました。

当時は佐渡ケ嶽部屋の親方で、総責任者です。

彼が北海道に新弟子スカウト行脚に来ました。

東京に戻る時、新弟子候補者を書いたノートをルームに忘れたのであります。

親方に電話した後ノートを送りました。

親方からは礼状と高価な扇子を送っていただきました。

 チェックインのときの親方の精悍な表情はまだ覚えております。

親方が高校生の時体育大会の最終競技、棒倒しで親方が大将として登場、相手方がその精悍な態度に逃げだしたと

テレビで見てました。

確か柔道部の主将で、ニックネームは猛牛だったかな、このあたりうろ覚えです。

 

「高見山(ジェシー)ハワイ出身」

ルームサービスで高見山のルームに朝食をお届けに伺いました。

シングルルームでドアを開けてもらった時、もう一枚ドアがあったような錯覚にとらわれました。

もう一枚のドアの正体は、高見山の首から下だったのです。

いやもーその大きさにビックリ!

こんな相撲取りに勝てる訳ないと瞬間的に感じました。

根拠がないのですが、日本人相撲取りが外国出身力士に勝つのは八百長以外に考えられないと思いましたね。

ところが今の日本人相撲取りは大きくなり、190センチ180キロ超える日本人がゴロゴロいます。

 この時気が付いたのですが高見山は床に毛布1枚敷いて寝ていました。

(相撲取りの多くは床に毛布一枚敷いて寝てました。当時のベッドは柔らかすぎだったようです)

 

「大鵬親方」

大鵬親方が宿泊されるときは、必ず札幌グランドホテルの和室でした。

ルームに布団敷にいくとボーイ一人一人にチップ1000円くれました。

(昭和47年頃の事です。結構大きかったですよ、ススキノスナックのチャージが500円でした)

 

「元大関北葉山、元関脇蔵間」

昭和50年、札幌準本場所が中島公園で行われていた頃、タニマチのお客様に誘われ、元大関北葉山のいる二所ノ関部屋(間違ってたらゴメン)に昼ごはんを頂きに行きました。

北葉山親方と関脇(?)蔵間関(若くして亡くなりました)とご一緒でした。

若い衆が私の真後ろに立ちビールを注いで呉れました。

アルミのどんぶりに並々と注いで呉れ、少しでも減るとすぐアルミどんぶりが一杯になるまで追加で注いで呉れました。

あたしゃ調子に乗って沢山いただきました。当然午後は営業中止、センチュリーローヤルホテルの地下サウナ室に直行。

 当時ハエが沢山いて蔵間関が若い衆に、

「ハエ何とかしろ!」

と不機嫌でしたが北葉山親方が、

「蔵間、ハエは美味しい物には寄ってくるんだ。若い衆を怒鳴ったってしょうが無いだろう!」

と一喝したことをおぼえています。

その時北葉山親方に聞きました。

「私が高校生の頃二度大相撲に誘われたのですが何故ですか?」

当時174・7センチで体重は65キロぐらいです。

北葉山曰く、

「あなたの身長と手の長さ、足の大きさからみて亡くなった横綱玉ノ海(玉ノ島だったっけ?)とほぼ同じになる」

と言われたことをよくおぼえています。

それと高校生時代下駄を履いていました。

アシは27センチあり、その点もアマチュアスカウトが私をスカウトした原因との事、

アマチュアスカウトはすれ違うとき瞬間的に足をみると伺いました。

アシが大きと体重が増えても全然心配ないそうです。

ちなみに元横砂輪島さんからも同じことを言われました。

 

私がワイシャツ作る時の腕の長さが87センチありましたが、横綱北の湖さんが86センチだったそうであと1センチ腕が長かったらもう1年現役を続けることが出来たそうです。(横綱輪島談)

(あと1センチ長かったらまわしをしっかり掴めたので)

 

「禊鳥」(みそぎとり)

確か横綱柏戸のころの幕内力士、

四股名はあやふやですが「みそぎとり」はあっていると思いますがいい加減です。

ススキノのラーメン横丁あたりにお店がありました。

チャンコ料理の店で味はそこそこでしたがなんせ店主が時々居なくなるのです。

時にはボクシングの世界一を決めるタイトル戦の鑑賞だったり、友達の店に飲みにいったりしてたみたい。

お客さんをほっぽり出してお店から居なくなってしまうんだなこれが。

それで自分のお店に帰ってきて「留守中何か飲んだ?」といい加減なんですよ。

味は良かったけどお店は間もなく潰れたらしい。

 

「輪島さん」

私が札幌グランドホテルでフロントの頃、当時横綱現役だった輪島さん、札幌準本場所で来札、

只一人横綱の特権でホテル住まい。

ススキノから午前一時頃帰館した輪島さん、その時は何も言わず、翌朝フロントで

「昨日帰った時、エレベーターの隅っこに婆さんが座っていたけど何かあったのか?」

輪島さんがご指摘通り前の日にエレベーターで80歳すぎの御婆さんが心臓発作かなにかで黄泉の国へ。

輪島さんそれを感じたんですね。

早速三吉神社にお祓いをしていただき、おばあちゃんの魂はぶじ成仏しました。

 

さて輪島さんが現役引退して親方になりました。

新聞で読んだのですが、親方の株を売った売らなかったで輪島さん相撲界に嫌気がさしプロレス入りの噂がなっがれていた頃

京王プラザホテル札幌にお越しになり地下の「北の居酒屋」でタニマチと一杯飲んでました。

タニマチと私は古くからの知り合いで私も合流、2時間位ご一緒しました。

雑談多々お話に花が咲きました。

印象に残っているのは相撲現役の頃のライバル北の湖さんのこと、

・黄金の左下手マワシさへ掴めれば誰にも負ける気はしなかった由

 北の湖さんと対戦した時も、左下手取れたら勝ったも同然、165キロ前後あった北の湖さんの体が浮いたそうです。

私も輪島さんの左手首をさわらせていただきましたが、私の倍はあると思われる平骨でした。

 北の湖さんはお酒もつよくサントリーの達磨さんが30分もしないうちに空になり全然酔わなかった由。

また腕が短くそれが原因で引退を決意したのです。

 

関取を始め、沢山の有名人と酒席をご一緒させていただいたのも全てお客様のおかげです。

何故お客様が私をさそってくださったのかは分かりません。

でも繰り返しになりますが、ホテルマンは給料やすかったけど楽しかったなあ。

このほか芸能人にも沢山あいましたがそれは別の話。

(水森亜土さん、平尾昌晃さん、高倉健さん他多数)

 

今日はこれでお終い、又ね。

 

 

 

 

 

 宮大工の世界では、一人前になったと見なすのはカンナ屑を見て判断するらしい。

弟子入りした大工さんの卵が、最初に先輩からカンナ屑を渡され、

「これと同じようなカンナ屑を作りなさい」

それは考えられないくらい薄く、カンナ屑を通して向う側が見えるとの事。

同じようなカンナ屑を作るためには、カンナの刃を研ぐ必要もあり2~3年はかかるらしい。

朝から晩までせっせとカンナ屑をたくさん作りながら、やがてカンナ屑の厚さ(薄さ?)が先輩に認められると合格。

ただそれまでにカンナの刃を研いだりしているうちに、先輩がどんな作業をしているのか見当がついてきます。

又先輩大工さんが一日の作業を終え帰ってきた時に、その日持って行った大工道具を研いで仕舞います。

「今日のAチームは仏像が主で・・・・・・」と今日の仕事を思い浮かべ、こんな道具が必要だったんだなと学びます。

日にちが経過するたびに、何百種類もある道具のどれを使うのか把握していきます。

こうして先輩の今日一日の作業内容からみて、どんな工事にはどんな道具が必要か、何を持っていくのか分かってきます。

師匠がその様子を見ています。

そうしてある日突然お寺の修理の責任者に抜擢され、不安な気持ちを抱きながら何とかこなし一人前になっていくとの事。

何と素晴らしい宮大工の教育方法と思いませんか?

 

 三國シェフが二十歳そこそこでスイス大使館の料理責任者になったキッカケは、

当時若き三國シェフが勤めていた帝国ホテルの総料理長の判断によります。

その頃村上総料理長はNHKの料理番組に出演中で、食材の準備に立候補したのが若き日の三國さん

メニューがわかった段階で、料理を出すまでの時間を予想して塩を振るのが三國さんの仕事。

それを黙って見ていたのが村上総料理長、やがてスイスの日本大使館の料理長に三國さんを指名します。

 三國さん、それまで料理を作ってお客様に召し上がっていただく経験は無かったのです。

最初はスイス大使館の責任者は三國さんを不安視していました。

ところが三國さんが着任していくらも経たないうちに、三國さんの熱心さと手腕に驚きます。

休みには車で有名レストランを巡り料理の勉強を継続、ほとんどのVIPがスイス大使館にお越しになっても主賓の好きな料理を提供するまでに勉強しました。

やがて人事異動の時期になり、スイス大使は三國さんを異動させないでくれ、との強い希望を表明します。

 

 さてそこであなたはホテルの営業部隊の責任者です。

人事異動の際、どんな若い衆を営業にしますか?

その根拠は何ですか?

私も人事異動の度に頭を悩ませました。

成功も失敗もありました。

ただ失敗をしないためにはどうしたらいいでしょうか?

今日の宿題です。

勿論正解はないと思いますが失敗しないための判断の基準は何でしょうか?

伊東なりの判断基準は勿論あります。

そのうちにご披露しますがそれまでみんな一所懸命に考えてね。

 

本日はこれにて終了、又ね。