前回の「ディベートは武道である」でディベート的発想のリスクについて述べました。
このディベート的発想を今私が最も強く感じるのは大阪市の橋下市長です。
自分の意見を正しい、優れているという前提で話を推し進めて行くところは、まさにディベート的発想です。
意見の同じ人からは圧倒的な人気を博するところも、特徴的です。
しかし、その進め方によって不要な敵を自ら作ってしまっているのも事実だと思います。
小さな勝利や一時的な優越感の為に大きな目的達成を困難にしているのが現状ではないでしょうか。
今のままでは彼の本来の目的である都構想もとん挫してしまう心配があります。
考えの是非はともかく、清濁併せ呑み視野の広い懐の深い政治家になって欲しいものです。
また、ディベート的発想とは言いましたが、ディベートとして見た場合は失礼ながらとてもディベートと言えるものではないですね。
論理の飛躍が多いし、事実を基にした立証はないし、しばしば詭弁と言ってもいい発言があって信頼を失いますし。
あれをディベートとは思わないでください。
ところで「DJポリス」を覚えていますか?
昨年W杯出場が決った時に渋谷に群衆が集まった時の雑踏警備の放送です。
警察とは法律を犯すものを取り締まるのが仕事ですから、その意見は正しいという前提で行動します。最もディベート的発想ですね。
従来でしたら、「騒ぐのは止めなさい。さもなければ逮捕します。」的な放送があったのでしょうが、それで騒ぎが一層大きくなることはしばしばありました。
しかしDJポリスはそのような押しつけではなく、「私たちはチームメートです。どうか皆さん、チームメートの言うことを聞いてください。」とか「皆さんは12番っ目の選手。」とか「怖い顔をしたお巡りさんも憎くてやっているわけではありません。心の中では喜んでいるのです。」などと共感を訴え見事に一人の逮捕者も出さずに混乱を防ぎました。
ルールや理屈は重要ですが、運用に当たっては押しつけにならないように注意したいものです。
DJポリスは本当に勉強になりました。