営業にとって重要な話し方とは、笑いを取ることや、感動を与えることが第一ではなく、まず正確で分かりやすい説明です。
日本の学校教育の国語の授業は文学作品の鑑賞が中心になっていて表現力を磨くことにあまり重点が置かれていないように感じています。作文にしても読書感想文など、どう感じたかを書かせます。事実や情景の正確な描写ということの訓練がされていないのではないでしょうか。ましてやそれを話し言葉で表現することは全く訓練されてこなかったと思います。
しかし事実や情景の描写、正確に伝えることが話す基本だと思います。
これが出来なくては笑いや感動を与えようとしても薄っぺらなものになります。
二つ例を上げます。
一つは笑いについてです。
人間国宝 桂米朝の落語を昔よく聞いていました。(「上方落語大全集」というのを買いました)
落語、特に古典落語というのは一度聞けばオチが分かってしまっています。しかし米朝など名人の落語は同じものを何回聞いても笑ってしまうのです。
旅人が狐にだまされる噺があります。狐にだまされて蔵の中を節穴から覗いているつもりが実は馬の尻の穴を覗いているというオチです。
米朝が旅人が蔵の節穴を覗きこんでいる様子を語ると本当に頭の中にその映像が浮かびます。ところが段々と「頭の上をフワーと何かがなでる」などとあやしい雰囲気になり、頭の中の映像が変わってきます。この時点でもうオチはわかっていてクスクスと笑いたいのですが、頭の中の映像にはまだ馬が表れていないので、まだプーと吹き出せません。最後にオチが語られた瞬間に馬の尻の穴を覗いている馬鹿な旅人の映像に一瞬にして取って代わり、こらえていたのが一挙に噴き出して大笑いをしてしまいます。
米朝の一番弟子の故桂枝雀は「笑いは緊張と緩和」と喝破しましたが、その通りだと思います。
オチの前の描写によって頭の中の映像が明確であればある程オチの瞬間の落差が大きく大笑いします。これが落語の真髄で、寒いおやじギャグやだじゃれや、未熟なお笑い芸人の一発芸との違いです。
結局は話の描写力があるから笑えるのだと思います。
もう一つは感動についてです。
NHKの山本浩アナウンサー(もう定年退職されたかと思いますが)をご存知でしょうか。スポーツ実況、特にサッカーの実況では第一人者と言われています。
いつのW杯か忘れましたが、あのアルゼンチンのマラドーナがイングランド戦で「伝説の五人抜き」をしてゴールを決めた時の実況は忘れられません。
仕事のため生中継は見なかったのですが、家に帰ると妻が「今日のマラドーナは凄かったよ」と興奮していました。妻は別にサッカー通ではありません。たぶん5人抜きがどんなに凄いことかなど全く分かっていないはずです。
その「伝説の5人抜き」の瞬間の実況で山本アナウンサーが言ったのはこれだけです。
「マラドーナ、マラドーナ、マラドーナ、来た~、マラド~ナ~」
山本アナウンサーはNHKのアナウンサーらしく、豊富な知識と綿密な事前情報収集に基づきながらも、淡々と正確に実況を行います。
その冷静な山本アナウンサーが興奮して多くを語らずただ絶叫してしまったから、素人の妻でも「凄い!!」と思ってしまうのでしょう。
よくいる、すぐに大声を出して「危ない!!」だの「ゴ~~~~~ル」と叫んでばかりいるアナウンサーではこれだけの感動は伝わらないと思います。
私の知る限りではマラドーナの「伝説の5人抜き」は海外では日本ほど有名ではありません。マラドーナと言えば「神の手」の方が有名なような気がします。日本でこれだけ有名なのは「山本アナウンサーの伝説の実況」があったからだと感じるのは私だけでしょうか。
これも普段の正確な描写のなせる技だと思います。
すみません。昔話に熱くなってしまって長くなってしまいました。
説明(情報伝達)の練習については次回に回させてください。
追記:
「伝説の5人抜き」の映像と実況をYouTubeで見つけました。
残念ながら5人抜きのシーンだけなのでその前の淡々とした実況との落差は分かりませんが。
1986年のメキシコ大会だったのですね。